石田三成と関ヶ原の戦い

海音寺潮五郎さんの見るところによると、関ヶ原の戦いで石田三成の西軍は敗れるべくして敗れました。しかし、世間にはこれとは全く反対の見解も存在し、関ヶ原の戦いでは本来は西軍が勝つはずだった。負けるはずのない陣容だったという人もいます。よく知られているところでは、明治政府が陸軍強化のためにドイツ参謀本部から招聘したメッケルがそうで、その逸話は司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』などで面白可笑しく紹介しているので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。

以前、角川文庫から出版されていた『日本史探訪』の中で、司馬遼太郎さんはメッケルの逸話を次のように述べています。

メッケルという人は、当時世界的な戦術家だったモルトケの愛弟子ですが、その頃の陸軍大学はドイツ風で、参謀旅行というのがありましてね、参謀をつれて現地に行って、地図によって架空の作戦を立てて訓練をしたものなんです。メッケルは関ヶ原に来て、合戦を彼自身がやったんですね。その時メッケルは、まずこの配置図を見まして、石田方の勝ちと言っちゃうんです。
 石田方の勝ちというのは、これは歴史と違うんで、学生たちがメッケル先生に、家康が勝ったんですがと言っても、いや、そんなことはない、そんな馬鹿なことはない、石田方の勝ちだと、何度も言うんです。


ここでの「配置図」とは東西両軍の布陣図のことです。戦争シミュレーションといいますか、ロボット同士が戦うのであれば、メッケルの言う通りに石田方=西軍が勝ったのかもしれませんが、実際の戦いは生身の人間同士が行うわけですから、メッケルのような机上の論理だけでは計れない様々な機微があるのです。

このメッケルの見解に対して、海音寺潮五郎さんは『武将列伝 戦国終末篇』の中で、

 関ヶ原の戦いは負けるべくして負けた戦争だ。明治年代にドイツの有名な戦術家が日本に来て、関ヶ原に遊び、案内の日本陸軍から、両軍各隊の配置・兵数を聞いて、
「これでどうして西軍が負けたのだろう。負けるはずはないのだが」
と不審がったところ、参謀が戦い半ばに小早川秀秋が裏切りしたことを告げると、手を打って、
「そうだろう、そうだろう」と言ったという話がある。ぼくはこのドイツの戦術家の説を信じない。兵数と陣形だけで数学的にことを考える参謀的迷妄だと思っている。小早川秀秋の裏切りが決定打になっていることは事実だが、敗因は他に無数にある。それは既に述べた。そしてその根本は、重ねていう、三成の不人気にあり、それは三成の陰険な性格と人心洞察力の鈍さの当然の帰結であると。


と述べています。厳しい評価ですね。

この関ヶ原の戦いは石田三成と共に、直江兼続が作りあげた大構想の末に行われたわけですが、いかに直江兼続が上杉謙信の意志を継ぎ、義のために戦うことを掲げるといっても、豊臣家の未来を託すのが石田三成だったところに、どうしようもない不幸があったようです。
このあたり今後のNHK大河ドラマ「天地人」ではどのように描くのでしょうか?「関ヶ原の戦いを敗者の視点から描く」というのが「天地人」のウリの一つだそうなので、やはり惜しくも破れたという感じを出すのでしょうね。まぁ、ドラマはあくまでもフィクションなので、それはそれでいいのですがね。


◆特集:NHK大河ドラマ「天地人」

 海音寺潮五郎「直江兼続を語る」
 
 直江兼続と上杉謙信
 
 直江兼続と豊臣秀吉
 
 直江兼続と藤原惺窩
 
 直江兼続と石田三成
 
 海音寺潮五郎『武将列伝』石田三成
 
 石田三成と関ヶ原の戦い
 
 海音寺潮五郎『実伝 直江兼続』
 
 石田三成は武将失格
 
 だが、石田三成の志は諒とする
 
 加藤清正と小西行長
 
 真田幸村と豊臣秀頼
 
 加藤清正と徳川家康

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この記事へのコメント

治部少輔
2010年11月14日 05:43
石田三成は謹厳実直ではあっても陰険ではないと考えます。むしろ三成や宇喜多秀家、上杉景勝らが見抜いていた家康による政権簒奪の野望を「三成憎し」から見逃した加藤清正や福島正則の愚鈍さに呆れるばかり。海音寺潮五郎は大久保利通より西郷隆盛に拘るなど、事務や地味な実務を軽視する傾向が強い。三成の忍城水攻め失敗も秀吉の指示に従っただけで、それでも一切言い訳しなかったとも言われています。偏見で歴史を語る有名人って有害じゃないのですかね。
モモタ
2010年11月14日 07:57
コメントありがとうございます。
前にもいらっしゃいましたが、熱心な石田三成ファンっているのですね。

海音寺さんは大久保も大変高く評価していますよ。西郷や大久保を扱った海音寺さんの作品は膨大なため、おそらくそれらを読まずにコメントされているのだと思いますが、西郷と大久保は相補って維新実現に向けて活動したというのがざっくりとした評価の外観です。
大久保は久光に接近しすぎて身動きが取れない時期があった、それを打開できたのは西郷がいたからこそだ、というのが大きなポイントでしょうか。

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  • 西暦1600年 - 関ヶ原の戦い

    Excerpt: 1600年、石田三成と毛利輝元の西軍と徳川家康が率いる東軍が関ヶ原で衝突、天下分け目の合戦が起きる。戦は1日で終わり、東軍が勝利する。 Weblog: ぱふぅ家のホームページ racked: 2009-09-20 15:39