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zoom RSS 日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その2)

<<   作成日時 : 2008/10/07 19:40   >>

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道徳の問題を考えていくと、どうしても宗教の問題に突き当たらざるを得ないと思います。私は自分なりに、この「宗教」という答えに行き着くことを恐れていました。なぜなら私は何の宗教も信じていないからです。日本人特有と言われる「無宗教」ですね。たぶん、多くの日本人が私と同じような心情だと思います。日本人が無宗教化してしまった大きな理由の一つは、仏教の無力化・無能化にあると考えられます。

道徳の問題を考える参考文献の一つとして『梅原猛の授業 道徳』(梅原猛 朝日文庫)を読んだのですが、この本の冒頭にこんなことが書かれています。

 昨年の最初の授業でもお話しましたが、ドストエフスキーというロシアの偉大な小説家が「宗教なくして道徳はない」と言いました。宗教ぬきで道徳を考えるということは、なかなかむずかしいんです。そこで今年は、宗教を背景にして、道徳というものをどう考えたらいいか、しかも今の日本の道徳をどう考えたらいいかを、皆さんにお話したいと思います。


私も今のところの結論は、
 「宗教なくして道徳はない」
です。梅原猛氏ほどの人になれば、宗教を抜きにした道徳も議論できるのでしょうが、多くの一般人には難しいことだと捉えてよいでしょう。
道徳というのは、何をしてはいけないのか?何はやってもいいのか?を示す規範だと思うのですが、この良い/悪いを峻別する理由を宗教に依ると簡単です。例えば、キリスト教であれば「聖書にそう書いてあるから」、仏教であれば「お釈迦様がそう仰っているから」で必要十分だからです。つまり、宗教を背景とした道徳は非常に分かりやすいわけです。

私は専門の学者ではありませんので、あまり検証もせずに大胆なことを書きますが、日本において、現代にも通じる道徳が育ったのは、江戸時代を通じてのことだと考えています。この江戸時代で日本人に最も馴染みの深かった宗教は「儒教」「仏教」です。
儒教は支配者階級たる「武士の道徳」を生み出す源泉となり、仏教は武士も含めた当時の全ての日本人の道徳的基盤になっていたと考えられます。

このうち、まず仏教が江戸時代の間に無力化していきます。これについては、海音寺潮五郎さんと司馬遼太郎さんの対談を収録した『日本歴史を点検する』に簡潔に述べられているのですが、それによると、

司馬 実際、日本人は面白いですね。
海音寺 なんだろう、日本人て。
 学者はキリシタン対策のために幕府が宗門帳というものをこしらえ、日本人は必ずどこかの寺の檀徒でなければならんことにし、厳しく励行したので、それが自ずから寺院保護となり、その過保護のために、二百五十年のあいだに僧侶が無力化し、仏教が骨抜きになり、従って日本人の宗教心も弱く薄いものになったというんですが、多分そうでしょうね。
司馬 それも考えられますね。


とあります。
こと宗教に限らず、競争のないところに良いものは育たないのですが、江戸時代の仏教がまさにそうだったわけです。
さらに明治後の廃仏毀釈が拍車を掛けます。これは有名な逸話ですが、同じく『日本歴史を点検する』から引用すると、

 奈良興福寺といえば大そうな寺ですが、そこへ「僧たちはあすから春日神社の神主になれ」という新政府のおふれが、一片の紙きれでやって来た。他の国なら軍隊が出動したり、戦争になったり、死の抗議があったり、大変だと思うのですが、ああそうですか、と千年の仏教を棄てていっぺんに神主になってしまっている。
 しかも昨日まで拝んでいた仏像を、これはきょうから不要やというので、坊さんたちは叩き割ってたきぎにして風呂をたてた。ホトケ風呂というので、当時は奈良でも評判だったそうです。(笑)


とあります。
このようにして、無力化してしまった仏教が日本人にどのような影響を与えているのか?逆に言えば、どれほど影響力を失っているかは、私たち自身のことを振り返ってみると一目瞭然です。

私の場合、これまでの人生の中でもっとも身近にあった宗教は仏教でした。父方は真言宗、母方は浄土真宗です。特に母方の祖母はかなりに熱心で、毎日、おそらく決まった時間・タイミングで仏壇に向かってお経をあげていました。
父方の実家の方でも、季節事に親族が集まり、最寄りのお寺からお坊さんに来てもらって読経してもらうというイベントがあり、私も末席に連なって、そのお経を聞いていました。このお寺は高野山真言宗別格本山という由緒あるものですが、だからといって私の中に仏教が根付くということはありませんでした。
私の立場で言えば、祖父母の代までは仏教が生活や人々の心にある程度と根付いていましたが、それでもなお、その度合いが稀薄になりゆく過程でのことであり、父母の代でそれが相当に加速され、私の世代ではほぼ何の力も持たない存在になってしまっています。
仏教は宗教としての影響力を持たなくなったわけですから、そこから生み出された「仏教的価値観に基づく道徳」が人々の行動規範になれないのも当然だと思います。

もう一方の儒教、儒教的価値観に基づく道徳はどうでしょうか?これは明治維新後の武士の消滅と共に、儒教によって生み出された道徳も消えてしまったと言ってよいでしょう。
なぜ武士に独自の道徳(広く言えば「武士道」でもいいと思いますが)が育ったのか?なぜ明治後では、人々はその道徳を維持できなかったのかについて、勝海舟が面白いことを言っています。

それは『氷川清話』の中に「武士道は頽れて当然」という小見出しで収録されているのですが、そこには、

 武士的気風は、日を逐うて頽れて来る。これはもとより困った事には相違ないが、しかしおれは今更のやうには驚かない。それは封建制度が破れれば、かうなるといふことは、ちやんと前から分かつて居たのだ。今でもおれが非常な大金持ちであつたら、四、五年の内にはきつとこの風を挽回して見せる。それはほかでもない。全体封建制度の武士といふものは、田を耕すことも要らねば、物を売買することも要らず、そんな事は百姓や町人にさせておいて、自分らはお上から禄を貰って、朝から晩まで遊んで居ても、決して喰ふことに困るといふ心配はないのだ。それゆえに厭でも応でも是非に書物でも読んで、忠義とか廉恥とか騒がなければ仕方がなかつたのだ。それだから封建制度が破れて、武士の常禄といふものがなくなれば、したがつて武士気質も段々衰へるのは当り前のことさ。その証拠には、今もし彼らに金をくれてやつて、昔のごとく気楽なことばかり言はれるやうにしてさへやれば、きつと武士道も挽回することが出来るに相違ない。


とあります。
江戸時代の武士はある意味「徒食人」であった。しかし、その生活をのうのうと受け入れるには人格が高潔に過ぎるため、施政者たるべき人間はどうあるべきか、人々の手本となるべき人物になるにはどうすべきかということを突き詰めて考えて、独特の行動美、生活規範を生み出した。それが武士道という道徳だというわけです。

その武士は明治維新で身分を剥奪され、「行動美だ」とか「生活規範だ」とか言っている余裕が失われた。それがつまり武士道の終焉、武士由来の道徳の終わりだというわけです。
もちろん、明治以後も武士道に由来する道徳は人々の間に残ってはいましたが、武士という身分がなくなったわけですから、その身分に由来する道徳も自然と稀薄になって行かざるを得ない。こうして、儒教を母胎とする道徳も日本からは姿を消してしまったわけです。

このようにして、仏教も駄目、儒教も駄目という日本にあっては、道徳の母胎をどこか別に求める必要があったはずなのですが、時代が江戸から明治に移る激変の中で、この移行がうまくいまくいかなかったようなのです。その原因の一端をになっているのが、福沢諭吉のようなのですが、その話をはじめるには少し長くなりすぎたようです。塾長の登場は次回ということで。

追記:
梅原猛氏の『梅原猛の授業 仏教』の中に、明治の廃仏毀釈後、日本仏教界が無力化してしまった理由の一説が述べられています。そこには、

そういうふうに、明治になって仏教は教育の現場から退いてしまった。それに加えて、維新後、廃仏毀釈をやったときに、政府は坊さんの妻帯を奨励したんです。それまで嫁さんをもらっていいのは浄土真宗だけだった。ところが政府が嫁さんをもらえと勧めて、僧侶が嫁さんをもらうのが不思議じゃなくなった。するとお寺が世襲制になります。そうすると、本当の宗教精神が失われる。坊さんの生活は安定するけれど、布教する情熱を失ってしまった。


とあります。こんな理由も積み重なって、日本での仏教は人々の心に訴えるだけの力を失っていったのですね。


◆連載一覧

 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その2)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その3)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その4)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その5)

 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その6)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(完結編)
新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

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