アクセスカウンタ

海音寺潮五郎応援サイト 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜

プロフィール

ブログ名
海音寺潮五郎応援サイト 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜
ブログ紹介
海音寺潮五郎作品を復活させたい!!!
お陰さまで私の敬愛する海音寺潮五郎さんの主要作品の多くが復活することになり嬉しい限りです。今後もネット上での海音寺潮五郎さんの知名度向上を目指して活動していきます。塵も積もれば何とやら、、、といった効果のあることを願って。

 海音寺潮五郎 私設情報局 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜 (姉妹サイト)

help RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
大久保ヤマトさんも応援しています
大久保ヤマトさんも応援しています このブログでの活動を通じて知り合った大久保ヤマトさん。「猛将妄想録」というサイトを運営されています。リンク先をご覧いただけばお分かりのように、日本史(主に戦国時代)を素材にマンガ形式で作品を発表されています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2011/02/16 18:59
このブログについて
作者のモモタです。 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/01/29 07:19
再起動?
再起動? みなさま、すっかりご無沙汰しています。このブログの管理人・モモタです。昨年度末から新年度にかけて、公私共に何かと多忙だったため、ついついブログをほったらかしにしてしまっていました。 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 6

2010/09/08 13:33
海音寺潮五郎と山本周五郎
テレビ朝日系列で山本周五郎氏の「樅の木は残った」をドラマ放映していたのに触発されて、海音寺潮五郎さんと山本周五郎氏の絡みについて少し書きます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/21 14:30
君子は清貧を楽しむ
司馬遷の「史記」列伝の巻頭を飾るのは「伯夷列伝」です。司馬遷が列伝の最初に伯夷(とその弟の叔斉)を取り上げた理由については、韓愈(韓退之)の言葉をもとにした海音寺潮五郎さんの解釈を以前紹介しました。 史記は単なる歴史書ではなく文学作品でもあるというのが海音寺潮五郎さんの見解ですが、その文学作品が後世に及ぼす影響の遠大なこと、例えば、水戸光圀の人生に見ることができます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/02/15 22:05
海音寺潮五郎ブログの実績 2009年下半期
海音寺潮五郎ブログの実績 2009年下半期 毎度恒例の「海音寺潮五郎応援ブログ 〜塵壺〜」の定点観測を公開します。いつもの通り、ブログに張ってあるAmazon.comへのリンクをどのくらいの人がクリックしたのか?そして、どのくらいの人が海音寺潮五郎作品を購入してくれたのか?についてです。比較参考の為に、昨年上半期の実績も記載しておきます。用語の説明は本エントリの末尾にあります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/01/12 21:34
海音寺潮五郎 戦地をゆく(最終回)
海音寺潮五郎さんは陸軍報道班員として約1年間マレーにいました。主な滞在地はクアラルンプールです。同時期に戦地入りした報道班員の中には戦死した人もいますが、海音寺さんは無事に任務期間完了で帰国できました。マレー作戦という成功を収めたため作戦に従軍できたことはある意味で幸せでしたが、日本とは異なる現地の過酷な環境は海音寺潮五郎さんの身体を蝕み、肺浸潤や胃潰瘍を発症しての満身創痍での帰国でした。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2010/01/11 14:13
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その11)
マレー作戦従軍中の海音寺潮五郎さんの反骨行動を何回かに分けで紹介してきましたが、こうした行動が祟り、海音寺さんは日本がマレー半島経営の中心拠点としたシンガポール(昭南島)に入れませんでした。本来、前回紹介するつもりだった内容ですが、分量の関係で書ききれなかったため、以下、概略を紹介します。まず登場するのは、例の「ヒゲ中佐」です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/01/06 21:39
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その10)
海音寺潮五郎さんらがマレー作戦に従軍している頃、日本国内の文壇は戦争協力の動きを強めていました。昭和17年5月、「日本文学報国会」が結成されたのです。何度か引用している資料(『坂口安吾と太平洋戦争』半藤一利)によると、遂行中の戦争が「国家総力戦」であることを念頭に置いて、総力戦のために文学者の大同団結を目的とする会だったそうです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4

2009/12/30 09:06
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その9)
海音寺潮五郎さんの従軍記が戦争らしい生々しさを感じさせないのは、役目がら、戦闘の最前線に出なかったからのようです。文人が従軍する本来の目的は、自軍の戦勝を文学化し、戦争行為を讃美することによって国民を戦争支持に誘導することにあります。ところが、戦地での海音寺さんの所属は「資料班」ということで、目を向ける相手は国内ではありませんでした。これについては、『海音寺潮五郎全集第21巻』収録の「南征茶記」に次のように書かれています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/12/28 17:29
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その8)
前回、英国の軍事拠点シンガポールを日本軍が攻略したところまで話を進めました。しかし、海音寺潮五郎さんを中心に語るには、ここに至る以前に面白い逸話をいくつか残しています。話は陸軍報道班員として従軍した作家達が「あふりか丸」でマレー半島に向う途上、サイゴンにいた頃に遡ります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/12/26 15:17
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その7)
「海音寺潮五郎 戦地をゆく」と題していますが、戦時らしい内容にあまり触れられていません。というのも、私程度の歴史知識と歴史解釈では、かつて日本が行った戦争をどう扱えばよいのか?適切な答えを見つけきれないためです。戦争そのものが悪なら「喧嘩両成敗」的解釈が日本人の心情には合致するのでしょう。しかし、「勝てば官軍、負ければ賊軍」で、旧日本帝国・旧日本軍だけを「完全なる悪」として断罪するのが現在の日本での「模範解答的歴史解釈」です。本当にそれでいいのでしょうか? ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/12/11 18:08
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その6)
太平洋戦争の開幕といえばハワイの真珠湾攻撃、それはそのまま「だまし討ち」という印象です。私も幼い頃「だまし討ち、だまし討ち」と散々聞かされた覚えがあります。私は最近まで近代史に興味がなく、この「だまし討ち」を詳しく知る機会はありませんでした。しかし調べてみると、日本の外交用暗号を解読済みの米国首脳にとってはだまし討ちではなく、日本が戦争手段に訴えることは既定の事実だったそうです。今回の本題ではないので深入りしませんが、この真珠湾攻撃と同時期に東南アジア方面で展開されたのがマレー作戦で、これに海音... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/11/22 07:38
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その5)
大所高所から歴史を語ると、得てして人間を見失いがちです。海音寺潮五郎さんが従軍した件も、「太平洋戦争当初、軍に徴用された多くの作家が戦地に赴いた」とでも言ってしまえば、それは無機質な歴史の1シーンに過ぎなくなります。しかしどんな歴史上の事件も、その当時に生きていた生身の人間によって作られたのです。その生身の感覚なくして、真に歴史を理解することはできないと私は思います。そうした観点から、陸軍報道班員の生身の感覚が分かる逸話を紹介します。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/11/18 19:03
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その4)
話は海音寺潮五郎さんが「白紙」で徴集を受けた昭和16年のことです。軍隊への召集といえば「赤紙」の印象ですが、海音寺潮五郎さんの場合は「白」でした。兵隊として軍隊に「召集」される場合が「赤」。兵隊ではなく、軍事を周辺から支援する活動に「徴用」される場合は「白」と決まっていたそうです。兵隊として軍隊に召集されるのは建前では名誉なことですが、本心では嫌なこと、忌まわしいこと、できれば避けたいことだったでしょう。これは徴用についても同じです。海音寺潮五郎さんの作家仲間では徴用をうまく免れた人もいました。... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/11/14 06:31
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その3)
太平洋戦争は真珠湾攻撃で幕を開けましたが、当時の日本はそれ以前、既に中国大陸で戦争(日中戦争、日支事変、支那事変などと呼ばれる)を遂行中でした。日本軍は首都南京を攻略しますが、国民党政府は首都を大陸奥地に移転して抵抗を続け、戦争は長期化の様相を呈していました。そんなとき、日本軍は国内世論を望ましい方向に誘導すべく、メディアの力を本格的に利用することを画策します。それに呼応したのが、当時の文壇の権威・菊池寛でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5

2009/11/07 08:28
海音寺潮五郎 戦地をゆく(その2)
昭和16年(1941年)、海音寺潮五郎さんは陸軍報道班員として徴用されました。41歳のときのことです。しかし、それよりもかなり以前の大正10年(1921年)に徴兵検査を受けたという話が『日、西山に傾く』に出ています。それによると、 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/11/03 13:36
海音寺潮五郎 戦地をゆく
海音寺潮五郎さんは陸軍報道班員として徴用され、太平洋戦争開戦当初のマレー作戦に従軍しています。当時のことで面白い逸話をいくつか残していますが、事実(史実?)を面白おかしく脚色して世に広めたのは、一緒に従軍した井伏鱒二氏だそうです。おそらく様々な場所で当時のことを執筆し、それが次第に広まったのだと思います。今日は私の手元にある資料から、「伝説のはじまり」を紹介します。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 6

2009/11/02 13:10
山県有朋と桐野利秋
山県有朋は長州藩出身の出自を利用して、維新後の新政府で高位高官に上りました。元来、山県の家は「蔵元附中間組」という格で、武士とは認められない最下層に属していましたところが、高杉晋作が創設した奇兵隊に参加して出世の糸口をつかみます。結果的には位人臣を極め、死後「枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵」と墓誌に刻まれるまでになります。そんな山県有朋の若い頃のこととして次のような逸話が伝わっています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/10/31 07:19
明治天皇と山県有朋
幕末動乱の中、京都にいた天皇は江戸の将軍に対抗する権威として薩長勢力に担ぎ出されました。「天皇」という存在は、政争を有利に運ぶ手段として注目をあびた面が強かったため、薩長の武士達は天皇を道具として利用しただけで、その実、全く尊崇などしていなかったのだという主張が存在するそうです。こうした俗説、単なる思いつきの主張が、国民の歴史理解を誤ることが甚だしいと海音寺潮五郎さんは嘆いています。例えば、大長編史伝『西郷隆盛』の第8巻に次のように書かれています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/10/24 07:54
明治天皇と西郷隆盛
若き日の明治天皇は儒教的な聖人君主を目指す教育を受けました。その人格陶冶の過程では武士出身の侍従たち、吉井友実、村田新八、山岡鉄舟といった人々が天皇を導く道しるべとなりました。武士として完成された彼らは儒教的な人徳を体現した「生きた手本」です。身分の上下を超えて、明治天皇はそんな侍従たちを人間として尊敬していたと思われます。ところが上には上がいるもの。これら大人の侍従達が多大な信頼を寄せる大人物がいました。それが西郷隆盛です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

2009/10/21 20:23
天皇だって人間だ
明治天皇は「日本を近代国家に変革した偉大な指導者」として語られることがあります。現に、明治天皇は優れた人格者だったそうですが、その人格は一朝一夕で形成されたものではありません。天皇だって人間です。幼い頃は人物的に未熟であり(あたり前すぎて変な文章になってしまった)、精神的な修養を積むことによって、立派な人格を築き上げたのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/09/26 08:49
天皇だって生きている
私は小学生の頃、むやみに天皇が嫌いでした。あろうことか、「僕が大人になって偉くなったら、天皇制を廃止してやる!」などと口走っていました。これはおかしい!こんな小学生、おかしいでしょ!!私自身、当時の記憶が曖昧で、なぜこんな状態になってしまったのか分かりません。が、後付けで理由を探すときに思い当たるのが「日教組」の存在です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/09/22 08:59
吉川英治と海音寺潮五郎
直木賞受賞作『天正女合戦』は海音寺潮五郎さんの初期の代表作です。この作品は千利休を芸術界の英雄ととらえ、天下人・豊臣秀吉と対比して描く独創的な構成となっています。その後の作品『茶道太閤記』でも、海音寺さんは「秀吉対利休」の構図を継承していますが、これに対して作品連載当時(昭和15年)、「国民的英雄の秀吉と一茶坊主の利休を対等の立場で描くとは何事だ!」という批判が起きたそうです。しかし、今になってみるとこの批判の趣旨はやや不明瞭です。『茶道太閤記』を批判した人々の意図を理解するには、昭和15年とい... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 5

2009/09/04 20:20
海音寺潮五郎ブログの実績 2009年度第一四半期
恒例(?)となっている「海音寺潮五郎応援ブログ」の効果測定を公開します。いつもの通り、ブログに張ってあるAmazon.comへのリンクをどのくらいの人がクリックしたのか?そして、どのくらいの人が海音寺潮五郎作品を購入してくれたのか?についてです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/08/29 07:35
海音寺潮五郎『孫子』 バカ売れ!!!
先の日曜日(8/16)、読売新聞の「本よみうり堂」というコーナーで海音寺潮五郎さんの『孫子』が取り上げられました。その影響でこの作品がかつてないほどバカ売れしているようです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/08/17 20:04
真の武士道、真の日本人の鑑
乱世では、その時々の判断が生死を分けます。ある判断の結果、死んで名を残した人もあれば、生き延びて汚名を背負った人もいます。誰しも死は避けたいですが、土壇場で生き延びる道を選ぶと、総じて汚名が伴うようです。そこで「葉隠」は「生きるか死ぬかの時には、死ぬ方を選べ」と教えます。しかし、葉隠は反動武士道であり、人間の正しい道とは言えません。生き延びる道を選び、なおかつ、真義を貫く方法を見出して成し遂げることが理想です。困難な道ですが、日本歴史にもそんな稀有な事例は存在します。山岡鉄舟が駿府の官軍への使い... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/08/14 19:57
軍人は気楽な家業ときたもんだ!
大雑把ではありますが、「運命の岐路における人間の行動」をテーマに、様々な時代の事例を取り上げています。本来、武士の存在意義は「職業軍人」として役割を果すことにあります。しかし、江戸も時代を経るに従い、武士が次第に官僚化し、それと共に軟弱化していったことは良く知られている通りです。海音寺潮五郎さんによれば、会津藩や薩摩藩のように、藩士に対して、武士が武士らしくあるための特別な教育を施してようやく、軍人・戦士としての武士を養成できたそうです。会津藩について語っている箇所を大長編史伝『西郷隆盛』第四巻... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/08/11 19:44
空気に支配される日本人
日本人には「空気を読む」特殊能力があるという説があります。「以心伝心」、「あうんの呼吸」など、その説を裏付ける言葉も存在します。もっとも、この二つは元来、仏教用語ですので、何も日本人だけが「空気を読める」わけではないのでしょうが、この「空気」と歴史の展開が密接に関わっているのではないか?が今日のテーマです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/08/06 19:27
生きて虜囚の辱めを受けず
ここまで武田家の滅亡、北条氏の滅亡を見てきました。片や、裏切り逃亡の連続で惨めな最期。他方、一族結束して意地を見せての壮絶な最期。こう単純に比較すると、「死を選ぶことが正しい」という発想につながりかねません。確かに、『葉隠』に見られる武士道はこうした価値観を主体にしており、それが「武士の理想像」であるとする意見もあるようです。しかし、私はそうした意見には与しません。これについては海音寺潮五郎さんの意見を先に紹介しました。死を軽んじる風潮を軽々しく振り回すのは、悪名高き「戦陣訓」を連想させて、どう... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/07/31 20:15
鎌倉幕府の滅亡
誰でも知っていることですが、鎌倉幕府を開いたのは源頼朝です。しかし、鎌倉幕府の滅亡は源氏の滅亡ではなく、北条氏の滅亡でした。頼朝の死後ほどなく、鎌倉幕府の実権は北条氏の手に渡り、それは幕府の終焉まで続きました。この源氏から北条氏への権力移行が大きな抵抗もなく行われたことを、海音寺潮五郎さんは『蒙古の襲来』の中で次のように述べています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 3

2009/07/24 06:43
いざ鎌倉
何度も繰り返し書いていますが、日本人の道徳心の源泉は「武士道」にあります。これは主に江戸時代に磨き上げられ、完成されたものですが、当の江戸時代の武士達は武士の理想像、好ましい主従のあり方を鎌倉時代に求めていたそうです。いわゆる「いざ鎌倉」がそれです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/07/19 07:43
武田家の滅亡
武田信玄亡き後、勝頼の率いる武田家は滅亡への道をまっすぐに進んでいったように見えます。その経過は海音寺潮五郎さんの『武将列伝 戦国爛熟篇』収録、「武田勝頼」を読むとよく分かります。最期はあまりにも悲惨、象徴的なのは家臣達の裏切りです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/07/11 09:11
加藤清正と徳川家康
江戸時代を通して武士の道徳、いわゆる「武士道」が形成されていくにあたり、最も重要な役割を果たしたのは儒学です。これは徳川家康が林羅山を採用し、その家学であった「朱子学」を官学としたことに始まります。しかし、その以前から儒学を学んでいた武士は少なくなかったようで、例えば、加藤清正などは儒学を学ぶについての面白い逸話が伝わっています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4

2009/06/26 14:48
海音寺潮五郎と司馬遼太郎『梟の城』編
海音寺潮五郎と司馬遼太郎『梟の城』編 海音寺潮五郎さんは講談倶楽部賞の選考会で、司馬遼太郎さんの『ペルシャの幻術師』を受賞作とするのに決定的な役割を果たしました。それから4年後、『梟の城』で直木賞を受賞した司馬遼太郎さんは確固たる文名を確立します。これぞ国民的大作家「司馬遼太郎」の出発点といえると思うのですが、ここでも海音寺潮五郎さんが司馬さんのために重要な役割を果たしています。しかし、その真相はあまり知られていません。例によって、ネット上には情報がありません。それを紹介しようというのが、今回のお話です。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 2 / コメント 2

2009/06/14 06:14
海音寺潮五郎と司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』編
海音寺潮五郎と司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』編 海音寺潮五郎さんと司馬遼太郎さんのただならぬ関係(いかがわしい意味ではありませんよ)については、両作家に多少でも興味のある方なら耳にしたことがあると思います。しかし、印刷された書籍類を別にすると、ネット上にはお二人の関わりあいについて、詳細な情報はほとんど存在しません。ネットの情報がいかに偏っていて不完全であるかの傍証だと思います。先頃、文芸評論家の磯貝勝太郎さんの作品『司馬遼太郎の風音』を入手したのですが、そこに詳しい経緯が描かれていたので紹介してみたいと思います。今回は『ペルシャの幻術師』編... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2009/06/07 07:40
真田幸村と豊臣秀頼
「武士は名こそ惜しけれ」という言葉があります。武士が持っていた価値観の一端を示すものと理解してよいでしょう。この「名こそ惜しけれ」の具体例として、豊臣家が滅亡した「大坂 夏の陣」における真田幸村の行動があります。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/05/28 15:36
花は桜木 人は武士
日本人の道徳のあり方を考えるには、「武士」「武士道」に立ち返る必要があるというのが私の直感です。私は「武士道は封建的でけしからん!」という意見には全く与しません。しかし、武士道を手放しで礼賛するのが誤った姿勢であることも認識しています。武士道にも善い面、悪い面があるはずで、それを見極めたいというのが私の思いです。武士道を語る際に、しばしば引き合いに出されるのは新渡戸稲造の「武士道」と、山本常朝の「葉隠」です。素材として、この二つが適切なのかという疑問が常々あるのですが、例えば、海音寺潮五郎さんは... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2009/05/26 23:06
みなさんのおかげです
ご存じと思いますが、海音寺潮五郎さんの没後、その作品・著作権を管理しているのは「財団法人 海音寺潮五郎記念館」です。記念館設立には司馬遼太郎さんが尽力されたとのことです。今日はこの海音寺潮五郎記念館の主な収入たる「印税収入」、つまり海音寺潮五郎さんの作品がどの程度売れているのかについて取り上げます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2009/05/19 23:06
南無高祖日蓮大菩薩
海音寺潮五郎さんは「日本人に日本歴史の常識を持ってもらいたい」という念願のもと、多数の史伝を執筆し、様々な人物を取り上げています。しかし、長い日本歴史を扱う以上、どうしても人選には偏りがあります。歴史を語るには、いわゆる「施政者」に相当する人物を中心に据える必要があるため、この範疇に当てはまらない人物は著名人であっても、あまり取り上げられていません。例えば、僧侶などがそうです。日本は仏教が主流な宗教であった期間が長いため、名のある僧侶を何人も輩出していますが、残念ながら海音寺潮五郎さんの筆が及ん... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/05/16 09:45

続きを見る

トップへ

月別リンク

海音寺潮五郎応援サイト 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]