|
私は海音寺潮五郎さんの『幕末動乱の男たち』に収録されている「山岡鉄舟」が好きです。これまで山岡鉄舟のことはこの作品をはじめとして、海音寺潮五郎さんの作品(他には『江戸開城』など)を通してしか知りませんでしたが、海音寺潮五郎さんの作品を読み尽くした今、他の書物にも手を伸ばす余裕が出来たため、ここで山岡鉄舟をテーマに本を読んでみようと思い、色々と集めました。その中で面白い話を見つけたので、ここで紹介したいと思います。 その面白い話というのは、明治16年頃に行われたという山岡鉄舟と井上馨の対決についてです。対決といっても、刀剣で勝負するというのではなく(そもそも、鉄舟相手にそんな無茶なことする馬鹿はいませんが)、二人が弁舌を戦わせたという話です。 かたや、勝海舟をして、 「忠勇金鉄のごとき、至誠鬼神を泣かしめる愛国無二の傑士」 と言わしめた山岡鉄舟と、 かたや、 維新後に堕落腐敗した汚職官僚の代表格・井上馨 ですから、この二人にいったいどのような接点があったのかと思うところですが、それは山岡鉄舟に叙勲するにあたり、当時の宮内省から勅使として使わされたのが井上馨だったという関係なのだそうです。 この話は『鉄舟随感録』(国書刊行会)という作品に、勝海舟の追憶談として載っているものです。かなり長い話であることと、文語体で意味が分かりにくい箇所があるため、適当に要約しながら紹介します。 勅使だと聞き、山岡鉄舟は恭しく井上馨を自宅に迎えました。井上は三等勲章を鉄舟に渡そうとしますが、山岡は 「勲章を受ける覚えがない」 という理由で受け付けません。井上は、 「貴殿が維新以後、朝廷に歴仕して、勲業浅からざるをもって賜る物だ」 と説明しますが、鉄舟は、 「いやしくも国の臣民として、一国の仕事をなすものが、それに勤労したからといって勲章とは呆れたことだ。報償としては相当の衣食費を既にいただいている。さらに勲章を受ける理由はない」 とはねつけたため、井上は返答に詰まります。 そこで、鉄舟が、 「勅使のことはひとまず置いて、拙者と貴殿との私事として話がしたいが、いかがか」 「よろしいでしょう」 「そもそも、勲章とはどんな物なのか」 との問いに対して、井上は、 「今更言うまでもないが、いやしくも国家に功績のある者は、勲章と賜るというのが御趣旨である」と答えます。そこで鉄舟は、 「本当にその通りであれば至極結構だが、当今のいわゆる勲章は、現在高位の官職にあるかどうかによって決まっているようで、拙者には心服しがたい。真に国家に功業のある者に賜るというのであれば、官位の有無に関わらず、職業のいかんを問わず、功績著しい者には高等の勲章を賜るべきはずであるのに、そういった様子は一向に見えない。まことに怪しからんことだ。そもそも貴殿は勲章を受けているのか」 と聞くと、井上は「受けている」というので、「それは何等勲章なのか」と鉄舟が問うには、「一等勲章だ」との返事であった。 「それみたまえ、貴殿は一等官の地位にあるからこそ、一等勲章を受けているのであろう。そもそもどんな功労があってその勲章を受けたのか」 と鉄舟は厳しく迫ります。井上は、 「貴殿が他人の身の上を聞きたいというのなら、まず自らの功業を説明するべきであろう」 と返しますが、 「ご質問とあらば、我が身に覚えのあることは遠慮なくお示ししましょう。しかし、勲功という程の事績には覚えがないので、単に自己の実歴をお話するだけになるでしょう。しかしながら、貴殿は既に有勲者のことゆえ、まず貴殿より物語るのが順序というもの。お話下さい」 と逆に返されます。そこで井上は自分の功績を語ります。 「余はつとに勤王の志を抱いて、国家のために尽くしたこと一、二の事績ではない。また維新以来、つとに朝廷に奉仕して、ひたすら国家のために尽力していること、ご覧の通りである。現に余の面体の刀痕などは、かつて国事に奔走していた際に、暴徒に刺傷されたものだ」 これを聞いた鉄舟は微笑して、 「これはどんでもないお話だ。いま貴殿の話されたことなど、単に一身上の艱難話に過ぎず、自分の艱難を引き出して、もったいらしく国家に功績があるとは何たることか」 と真っ正面から批判を浴びせました。とっさに弁解の言葉もない井上でしたが、 「ならば、貴殿の実歴とやらをお聞かせ願いたい」 と迫りました。 鉄舟は語ります。 「拙者は朝廷に奉仕しておりますが、ことさら功績と申し上げるほどのことはござらぬ。何かあるとしても、それは俸給に酬いる当然の職務に過ぎぬことで、あえて申し上げることもなし。そこで、少しさかのぼってお話しましょう。しかし、これも功績というほどのことではなく、この国に生まれ、国のためにことをなす当然の任務として行ったまでのことです」 と前置きした上で、幕末維新当時のことを語りました。 それは、鳥羽伏見の事変後、徳川慶喜が東叡山に蟄居謹慎している中、東西隔絶のために大乱がまさに起きようとしているときのことです。 征討軍が目前に迫り、まさに江戸が戦乱の巷になろうとするとき、主君の命を受けて、危険をも顧みず、総督府宮に陳情するために敵軍が充満する中を単身で駿府に向かったこと。参謀たる西郷隆盛に会い、江戸百万の生霊を塗炭の苦しみからすくうよう説得に努めたこと。鉄舟は井上に語りました。 「貴殿が列挙された功績と、拙者の実歴とは、その趣いかがでござろうか。かくいうものの、これは単に拙者が自らの立場でなすべきことをやったまでのことで、あえて功績などと誇り顔でご披露する次第ではなく、拙者としては、逆にいたらぬことを恥じるほどでござる。にも関わらず、今この恩命に接し、勲章を賜るとの御趣旨は恐縮千万に堪えず、ご恩命のほどは銘肝つかまつります。しかし、拙者が愚考するには、賞罰褒貶のことは、一人拙者のみたらず、ひろく天下人臣の関わることなれば、失敬ながらいまここで勲章をお受けし難く、謹んでご辞退申し上げたい」 これには井上も一言も返す言葉がなく、そのまま勲章を持ち帰ってしまいました。 ということで、いやぁ、長い引用&要約になってしまいましたが、いかがでしたか?高士・山岡鉄舟の面目躍如。それと相対して、可哀想ながら井上馨はその人格にふさわしい役柄を負わされてしまったということのようですね。 ちなみに、このブログで前回、映像化された海音寺潮五郎さんの作品として前回『明治太平記』を紹介しましたが、この作品では、明治維新後の汚職(疑獄)事件として有名な「尾去沢銅山事件」を扱っている関係で、当然、悪役として井上馨が登場します。 か、しかし、なぜかこの作品では本名ではなく「井下清」という名前になっています。井上馨が一時期このような名前を使っていたというわけではなく、何らかの理由で作品中で「井上馨」の本名を用いることが出来なかったのだと思われますが、こういったことは海音寺潮五郎さんにしては非常に珍しく、私はこの一例しか知りません。 ただ、この「井下清」はあからさまに井上馨のことなので、本名を伏せた効果は皆無ですし、そもそも海音寺潮五郎さんは『悪人列伝』で「井上馨」を執筆し、その悪行は明々白々です。そんな井上馨が、 「命もいらず、名もいらず」 の山岡鉄舟とこうまで直接に比較されると、いかにもみすぼらしく哀れで、それが何とも面白かったので、ここで紹介した次第です。 人間として生きていくに際し、山岡鉄舟のようにありたいか、井上馨のようにありたいか、色々と考えさせてくれる逸話だと思います。
|
| << 前記事(2008/06/25) | トップへ | 後記事(2008/07/05)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
おげんきですか。 |
Yute 2008/07/03 01:10 |
Yuteさん、こんばんは。ありがとうございます。公私共々、忙しいながら元気で何とかやってます。 |
モモタ 2008/07/03 21:26 |
| << 前記事(2008/06/25) | トップへ | 後記事(2008/07/05)>> |