テーマ:加藤清正

海音寺潮五郎記念館誌 第20号

2001年3月31日発行の海音寺潮五郎記念館誌、第20号です。前回の19号が1999年の発行だったため、2年ぶりの記念館誌。その間、記念館としての活動は継続していたようで、恒例の文化講演会は2回分が収録されています。 平成11年度が阿刀田 高氏と磯貝 勝太郎氏、平成12年度が澤地 久枝氏と原口 泉氏です。 海音寺潮五郎記念館…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

海音寺潮五郎 戦地をゆく(その9)

海音寺潮五郎さんの従軍記が戦争らしい生々しさを感じさせないのは、役目がら、戦闘の最前線に出なかったからのようです。文人が従軍する本来の目的は、自軍の戦勝を文学化し、戦争行為を讃美することによって国民を戦争支持に誘導することにあります。ところが、戦地での海音寺さんの所属は「資料班」ということで、目を向ける相手は国内ではありませんでした。こ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

加藤清正と徳川家康

江戸時代を通して武士の道徳、いわゆる「武士道」が形成されていくにあたり、最も重要な役割を果たしたのは儒学です。これは徳川家康が林羅山を採用し、その家学であった「朱子学」を官学としたことに始まります。しかし、その以前から儒学を学んでいた武士は少なくなかったようで、例えば、加藤清正などは儒学を学ぶについての面白い逸話が伝わっています。 …
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

加藤清正と小西行長

海音寺潮五郎さんの歴史解釈のあり方については、このブログで何度も取り上げていますが、今日は加藤清正と小西行長の比較を題材に、もう一度ふれてみることにします。舞台は豊臣秀吉の命令によって行われた朝鮮の役です。 朝鮮出兵が関ヶ原の戦いでの西軍敗北の遠因となったこと。それはつまり、豊臣家滅亡の原因でもあるとする海音寺潮五郎さんの史観につ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

海音寺潮五郎の武勇伝

W杯も終わったことですし、これで不規則な生活を強制されることもなく平穏な日常に戻れそうですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか? 私は不本意ながら、仕事がかなり忙しくなってきたため、このBlogの更新もままならなくなりそうです。 さて、久しぶりの更新になってしまいましたが、今回も海音寺潮五郎さんの侠骨漢(宮城谷昌光さんの『侠骨記…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

名君 徳川家光

ここ数回、『武将列伝』からの話題が続いていますが、ついでにもう一つ行ってみましょう。江戸幕府三代将軍、徳川家光です。 前回、海音寺潮五郎さんの加藤清正の評価があまり高くないこと、小西行長がこき下ろされていることなどを紹介しましたが、徳川家光はそれとは比較にならないほど悲惨無残です。 滅茶苦茶、ズタボロ、二度と立ち上がれないほどメ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

加藤清正の名誉を回復せよ

これは海音寺潮五郎さんの『歴史余話』だったかに書かれていた話ですが、戦前(最近ではこの表現で何の戦争を指しているのか分からない人が増えているという話を聞いたことがあります。もちろん、ここでいう戦争は太平洋戦争=大東亜戦争のことです。)、武勇優れた武将といえば、鎮西八郎こと源為朝と加藤清正が双璧で並び賞されていたそうです。 戦後、源…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

立花宗茂と加藤清正の間

筑摩書房の「昭和国民文学全集」に「海音寺潮五郎集」という巻があり、その中に海音寺さんの『立花宗茂』が収録されています。この立花宗茂は戦国時代末に活躍した人物で、西郷隆盛や上杉謙信ほどではないものの、海音寺さんが高評価する人物の一人ですが、現在の世間一般にはあまり知られていないのではないかと思います。 戦国時代は英雄豪傑が雲のように群が…
トラックバック:3
コメント:0

続きを読むread more