大久保利通と山岡鉄舟 ひいきの引き倒し(その2)
海音寺潮五郎さんの作品中に見られる、「他人を評することは、自分を評することでもある」という言葉の実例として、前回、大久保利通を取り上げて、評者の違いによる解釈の相違を紹介しました。今回は山岡鉄舟です。
山岡鉄舟と言えば、よく「剣と禅の達人」(+書の達人とも言う)と評されます。禅に「達人」などという評し方があるのはよく理解できませんが、海音寺潮五郎さんは鉄舟を
「高士とも呼べる人物」
と評していますので、人格的に高度に鍛え上げられた人物であったということのようです。その人格陶冶に禅が一役買ったというのをこのように称しているのかもしれません。
さて、山岡鉄舟と言えば、何といっても西郷隆盛との江戸開城に関する交渉が有名なわけですが、今回紹介する「ひいきの引き倒し」はこれに関連しています。
山岡鉄舟の事績を記録した書物に『最後のサムライ 山岡鐵舟』(教育論評社)があります。鉄舟の逸話がいろいろと記載されているのですが、その中に次のような記述があります。
明治十四年のこと。政府が維新の大業にあずかった旧幕臣の勲功を調査するため、旧幕臣諸子を呼び出して、それに関する口述あるいは文書を取り集めた。鐵舟も遅れ馳せに出頭すると、係官が鐵舟に向かって、「先ほど勝安芳氏が出頭し、慶応戊辰三月十四日、高輪の薩州邸において、征東大総督府参謀西郷隆盛氏と会見し、慶喜恭順の意向を言上して朝命四箇条を承り、その実行を果たしたむきの口述に及んだが(勝は、ものによっては、自分の手紙一本で西郷が江戸総攻撃を停止したなどと書いている)、それに相違ないか」と訊く。鐵舟は「はて、妙な話だ」と思ったが、「これを否定すれば勝の面目を潰してしまう。そういえば功は人に譲れということもあるな」と一瞬のうちに決心し、「はっ、その通りでござる」と言って頭を下げ、そのまま帰ってきた。
これぞまさに「ひいきの引き倒し」だと私は思います。この書物の著者は当然、鉄舟びいきなわけで、江戸開城に果たした鉄舟の役割を少しでも大きいものとして評価したいわけです。その裏返しとして、勝海舟(勝安芳)の功績は過小評価したいわけで、勝海舟に対する嫉妬心が上記文中の括弧()で括られた部分に直接的に出てしまっているように私には見えます。
上記の引用文には「功名無用」という小見出しがついているのですが、高士・山岡鉄舟の心情はまさにこれであったはずで、
「はて、妙な話だ」
と思うはずはなく、ましてや
「そういえば功は人に譲れということもあるな」
などということが頭をよぎることすらないと私は思うのです。鉄舟としては、自分は当時の立場でなすべきことを当たり前に遂行したにすぎない。論功行賞はまた別次元の話であると心のそこから割り切っていたに違いありません。そこにこそ、鉄舟の偉さはあるのです。
ところで、今放送中のNHK大河ドラマ「篤姫」では、この江戸開城はどのように描かれるのでしょうかね。史実としては、西郷隆盛と勝海舟の交渉を中心として、その橋渡しを務めた山岡鉄舟を含めた3人の功績によるところが大きいのですが、やはりドラマでは篤姫が決定的な役割を果たしたように仕立て上げるのでしょうかね。誤った歴史知識を持つ人が増えないことを願わずにはいられません。
山岡鉄舟と言えば、よく「剣と禅の達人」(+書の達人とも言う)と評されます。禅に「達人」などという評し方があるのはよく理解できませんが、海音寺潮五郎さんは鉄舟を
「高士とも呼べる人物」
と評していますので、人格的に高度に鍛え上げられた人物であったということのようです。その人格陶冶に禅が一役買ったというのをこのように称しているのかもしれません。
さて、山岡鉄舟と言えば、何といっても西郷隆盛との江戸開城に関する交渉が有名なわけですが、今回紹介する「ひいきの引き倒し」はこれに関連しています。
山岡鉄舟の事績を記録した書物に『最後のサムライ 山岡鐵舟』(教育論評社)があります。鉄舟の逸話がいろいろと記載されているのですが、その中に次のような記述があります。
明治十四年のこと。政府が維新の大業にあずかった旧幕臣の勲功を調査するため、旧幕臣諸子を呼び出して、それに関する口述あるいは文書を取り集めた。鐵舟も遅れ馳せに出頭すると、係官が鐵舟に向かって、「先ほど勝安芳氏が出頭し、慶応戊辰三月十四日、高輪の薩州邸において、征東大総督府参謀西郷隆盛氏と会見し、慶喜恭順の意向を言上して朝命四箇条を承り、その実行を果たしたむきの口述に及んだが(勝は、ものによっては、自分の手紙一本で西郷が江戸総攻撃を停止したなどと書いている)、それに相違ないか」と訊く。鐵舟は「はて、妙な話だ」と思ったが、「これを否定すれば勝の面目を潰してしまう。そういえば功は人に譲れということもあるな」と一瞬のうちに決心し、「はっ、その通りでござる」と言って頭を下げ、そのまま帰ってきた。
これぞまさに「ひいきの引き倒し」だと私は思います。この書物の著者は当然、鉄舟びいきなわけで、江戸開城に果たした鉄舟の役割を少しでも大きいものとして評価したいわけです。その裏返しとして、勝海舟(勝安芳)の功績は過小評価したいわけで、勝海舟に対する嫉妬心が上記文中の括弧()で括られた部分に直接的に出てしまっているように私には見えます。
上記の引用文には「功名無用」という小見出しがついているのですが、高士・山岡鉄舟の心情はまさにこれであったはずで、
「はて、妙な話だ」
と思うはずはなく、ましてや
「そういえば功は人に譲れということもあるな」
などということが頭をよぎることすらないと私は思うのです。鉄舟としては、自分は当時の立場でなすべきことを当たり前に遂行したにすぎない。論功行賞はまた別次元の話であると心のそこから割り切っていたに違いありません。そこにこそ、鉄舟の偉さはあるのです。
ところで、今放送中のNHK大河ドラマ「篤姫」では、この江戸開城はどのように描かれるのでしょうかね。史実としては、西郷隆盛と勝海舟の交渉を中心として、その橋渡しを務めた山岡鉄舟を含めた3人の功績によるところが大きいのですが、やはりドラマでは篤姫が決定的な役割を果たしたように仕立て上げるのでしょうかね。誤った歴史知識を持つ人が増えないことを願わずにはいられません。
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