蘇我蝦夷こそが悪人である
毎度毎度、このBlogで書いていて本当に嘆かわしいことですが、前回紹介した海音寺潮五郎さんの『聖徳太子』(学習研究社)も今では絶版になっています。作家としての活動時期が少し古いということを割り引くとしても、絶版になっている海音寺潮五郎作品の何と多いことか!
せっかく立派な信念と情熱を持って執筆した作品も、絶版となって後世に伝わらないとは海音寺さんも予想していなかったことでしょう。
これまで多数の海音寺作品を出版しておきながら、ビジネスライクに割り切ってすぐ絶版にしてしまう文藝春秋社が諸悪の元凶だ!と槍玉に挙げておきましょう。
さて、絶版になっていはいますが、私はこの『聖徳太子』を地元の図書館で借りて読むことが出来ました。たまたまなのか、それとも図書館であればこの程度は普通なのか分かりませんが、地元の図書館には海音寺潮五郎さんの古い作品もかなりの数が所蔵されており、まだまだ新たな作品を読む楽しみが残っています。
みなさんの地元にもきっと海音寺さんの作品が眠っていると思いますよ。
ところで、この『聖徳太子』の作品中に非常に興味深い記述があったので紹介しておきましょう。これは今話題の女性天皇問題もそうですが、天皇制(というか天皇の存在意義そのもの)を考える上でも重要な情報だと思います。
太子の理想は、日本を化して、天皇を中心とする一君万民の中国式統一国家にするためにあったのだが、太子がなくなると、「天皇を中心とする」という眼目が抜かれて、蘇我氏を中心とする統一国家への歩みが見えて来た。歴史上、蘇我氏の専制時代といわれる時代である。
ついに馬子の子の蝦夷の代となると、蝦夷は天皇となった。本来の天皇を廃しはしないが、別に朝廷をひらいて天皇となったのだ。これは従来の史家の忌んで言わないことであるが、「日本書紀」の皇極紀を心を澄まして読むならば、歴々たる証拠がいくつも見つかるのである。
これぞ海音寺潮五郎さん独自の史観(前にも触れましたが、この"史観"は海音寺さの造語だそうです)ですね。蘇我蝦夷(知っていると思いますが、大化の改新で有名な蘇我入鹿のお父さんです)が天皇となった傍証というのは『悪人列伝 』に詳しく記述されていますので、こちらもあわせて読んでみてください。
といいつつ、この『悪人列伝』も絶版なんだった!やはり諸悪の根源は文藝春秋社ということで、今日のところは〆。
せっかく立派な信念と情熱を持って執筆した作品も、絶版となって後世に伝わらないとは海音寺さんも予想していなかったことでしょう。
これまで多数の海音寺作品を出版しておきながら、ビジネスライクに割り切ってすぐ絶版にしてしまう文藝春秋社が諸悪の元凶だ!と槍玉に挙げておきましょう。
さて、絶版になっていはいますが、私はこの『聖徳太子』を地元の図書館で借りて読むことが出来ました。たまたまなのか、それとも図書館であればこの程度は普通なのか分かりませんが、地元の図書館には海音寺潮五郎さんの古い作品もかなりの数が所蔵されており、まだまだ新たな作品を読む楽しみが残っています。
みなさんの地元にもきっと海音寺さんの作品が眠っていると思いますよ。
ところで、この『聖徳太子』の作品中に非常に興味深い記述があったので紹介しておきましょう。これは今話題の女性天皇問題もそうですが、天皇制(というか天皇の存在意義そのもの)を考える上でも重要な情報だと思います。
太子の理想は、日本を化して、天皇を中心とする一君万民の中国式統一国家にするためにあったのだが、太子がなくなると、「天皇を中心とする」という眼目が抜かれて、蘇我氏を中心とする統一国家への歩みが見えて来た。歴史上、蘇我氏の専制時代といわれる時代である。
ついに馬子の子の蝦夷の代となると、蝦夷は天皇となった。本来の天皇を廃しはしないが、別に朝廷をひらいて天皇となったのだ。これは従来の史家の忌んで言わないことであるが、「日本書紀」の皇極紀を心を澄まして読むならば、歴々たる証拠がいくつも見つかるのである。
これぞ海音寺潮五郎さん独自の史観(前にも触れましたが、この"史観"は海音寺さの造語だそうです)ですね。蘇我蝦夷(知っていると思いますが、大化の改新で有名な蘇我入鹿のお父さんです)が天皇となった傍証というのは
といいつつ、この『悪人列伝』も絶版なんだった!やはり諸悪の根源は文藝春秋社ということで、今日のところは〆。
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