海音寺潮五郎 戦地をゆく(その11)

マレー作戦従軍中の海音寺潮五郎さんの反骨行動を何回かに分けで紹介してきましたが、こうした行動が祟り、海音寺さんは日本がマレー半島経営の中心拠点としたシンガポール(昭南島)に入れませんでした。本来、前回紹介するつもりだった内容ですが、分量の関係で書ききれなかったため、以下、概略を紹介します。まず登場するのは、例の「ヒゲ中佐」です。

マレーに向かう報道班員の輸送指揮官だったヒゲ中佐は、海音寺潮五郎さんら、反抗的態度を取る班員をうらみに思い、どうやらそれを上官に悪し様に告げたようです。古代中国史などでよく見られる「讒言」というやつですね。

ヒゲ中佐(本名は栗田)は報道班員をタイピンまで送り届けたことでお役ご免となりました。その後、現地での責任者となる鈴木崇作中将が報道班員たちに訓辞を述べますが、その中で次のようなことがあったそうです。
(出典は井伏鱒二氏の『徴用中のこと』)

温厚な感じの将軍であった。初めのうちは、このたびの戦さは米英膺懲のための正義の戦さだというようなことを云っていたが、話が少しづつ変わって来て、「お前らの中には、反軍思想の者が居る。反軍思想の者は内地へ追い返さなくてはならん。国賊は、軍に御奉公させて置くわけにいかん」と云った。(後略)


鈴木中将の「反軍」、「国賊」云々の話はこの後も続いたそうですが、それが海音寺潮五郎さんをはじめとする一筋縄では制御できない人々を指していることは明瞭です。
この発言は井伏氏に強い印象を与えたようで、徴用が解除された後日、この鈴木中将と話す機会を得た井伏氏は、発言の真意を問いただしたそうです。以下、同じく『徴用中のこと』から引用すると、

「あれは君、輸送指揮官の栗田中佐が云わせたことだよ。栗田と我輩は士官学校で同期の仲だ。彼は、あんながらっぱちの男だが、根は正直で愛すべき男だよ」
そう云って、「あのときは、栗田の提出した書類を見るだけで云ったことだ。書類が云わせたことだ」と附加えた。

その書類というのは、私たちの検討したところによると、「大阪集結以来、徴員に関する行状」という密告書であったようだ。

シンガポールが陥落した後、塚本画伯はコーランポーの宣伝班に配属させられた。塚本君自身の云うように左遷されたことになるのかどうかは知らないが、輸送指揮官に向かって「ぶった斬って見ろ」と楯突いた海音寺潮五郎も、コーランポーに遣られてしまった。輸送船のなかで酔泣きしながら板に縛りつけられた中村地平も、シンガポールからコーランポーへ転属させられた。船中新聞の「南航ニュース」に、悪者膺懲の諷刺童話を執筆した小栗虫太郎は、初めからコーランポーへ残されていた。最初、その童話の執筆者であると誤解されていた寺崎浩は、シンガポールへ入城するより先、タイピンで宿営中に、荒木猛と二人、任官しないままペナン島の放送局に配属させられた。


ということだったそうです。
海音寺潮五郎さんは現地で宣伝班に所属し、クアラルンプール(コーランポー)に滞在していましたが、なぜ宣伝班所属だったのかという理由の一端が上述の逸話から伺えるようです。

それにしても、
 各種演習は仮病で欠席、
 帰国のための集結命令さえ無視、
だった海音寺潮五郎さんは、クアラルンプールで一体何をしていたのでしょうか?
これについては海音寺潮五郎さん自身が『日、西山に傾く』収録の「錫山騒動」で次のように書いています。

 
太平洋戦争の初期、ぼくは陸軍報道班員に徴用されて、マレーに従軍して、約一年間マレーに駐屯した。別段に仕事らしい仕事はなし、暑さは暑し、まことに退屈な毎日であったので、ぼくは南洋華僑史を研究して、その退屈をまぎらした。
その成果は、戦争中「マライ華僑記」という一部の書物にして出版したが、その研究中、最も興味を覚えたのは、ペラ州の錫山騒動と、ボルネオのブルネイ王国の成立の次第であった。
この二つは、小説にしようと心組み、前者は「アラン・アラン」という題まで考えたほどであったが、色々な事情でそれが出来ず、今日に至っている。
 調べた史実だけを書いてみる。(後略)


海音寺潮五郎さんの作業は、現地の歴史を知り、現地人の慣習や考え方を理解するという大義名分を立てれば、日本軍の行動を利するといえます。しかし、単に自分自身の小説ネタを収集していたとなれば、これは益々、海音寺潮五郎さんらしいというべきでしょうか。軍への協力を徹底的に拒否していた証拠のひとつといえるでしょう。

残念ながら、ここに登場する『アラン・アラン』は海音寺潮五郎さんの生前に小説化されることはありませんでした。ブルネイ王国の成立も同様です。しかし、『日、西山に傾く』に収録の内容はいわゆる史伝であり、この素材に興味をもった後人が換骨奪胎して小説化してもいいわけです。海音寺潮五郎さんは、そうした行為を

 「著作権侵害などとは言いません」

と別の場所で表明してもいます。

私は寡聞にして、後進の作家がこの『アラン・アラン』(マレー・ペラ州の錫山騒動)に相当する内容を小説化したという話を知りません。どなたかご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただきたいと思います。

ちなみに、海音寺潮五郎さんが史実を史伝化して、後人に小説素材を提供していると思われる作品は他にもあり、例えば『さむらいの本懐』収録の「献上の虎」(この分類には異論があるかもしれません)などがそれにあたります。これも誰か小説化しているでしょうか?

さて、とりとめもなく長々と書いてきたこの企画、紹介したい逸話もまだ残っているのですが、このくらいにして次回で締めくくりにしたいと思います。


特別企画:海音寺潮五郎 戦地を行く

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その2)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その3)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その4)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その5)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その6)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その7)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その8)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その9)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その10)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その11)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(最終回)

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