海音寺潮五郎 戦地をゆく(その8)

前回、英国の軍事拠点シンガポールを日本軍が攻略したところまで話を進めました。しかし、海音寺潮五郎さんを中心に語るには、ここに至る以前に面白い逸話をいくつか残しています。話は陸軍報道班員として従軍した作家達が「あふりか丸」でマレー半島に向う途上、サイゴンにいた頃に遡ります。

サイゴンに上陸し、自由行動の許可を得た海音寺潮五郎さんたちは、買い物をしたり市中を飲み歩いたりして一日楽しみました。例えば、買い物の様子として次のような出来事が『海音寺潮五郎全集』に書かれています。

歩道にテーブルを出しているフランス式のカフェーで、ビールを飲んでいる時、豹の皮をかついだ安南人が来て、買ってくれという。七十ピアストルだという。
「二十五ピアストルにまけるなら買ってやると言って下さい」
ぼくはまさかそうは負けまいと思ったから、宮沢君に頼んだ。

宮沢君はかれこれと問答していたが、やがて困ったような顔をして、
「負けるといいますが、どうします」
「えっ、負ける?二十五ピアストルですよ」
「二十五ピアストルにです」
しかたはない。買った。

この毛皮は、あとで大へん役にたった。シンガポールが落ちるまで、われわれは露営こそしなかったが、寝台なんぞ寝られなかった。毎夜かわる宿舎の床にゴロ寝をしたわけだが、ぼくはこれを敷いて寝ることが出来たのである。


宮沢君というのはサイゴンの毎日新聞支局員で、この日、海音寺さんと一緒に行動していたのだそうです。

さて、その晩にちょっとした事件が起こります。海音寺潮五郎さんが酔っぱらったあげく、サイゴン河に落ちてしまったのです。
この事件も例の「ぶった斬ってみろ!」伝説と同じく作家仲間の間では有名だったようで、井伏鱒二氏の「里村君の絵」(井伏鱒二全集第10巻収録)には次のように書かれています。
(原文は旧かな使い)

ところが、二十日の夜、私たちが船に帰って来て点呼の時刻を待っていると、私たちの荷物を積んだ小さい方の汽船の見張番が慌しくやって来た。
「いま、海音寺潮五郎さんが小便に出て、川のなかに落ちました。」
見張番の人は、そういって私たちに同僚の奇禍を報知してくれた。
(中略)
サイゴン河は干潮の流れが急である。もしも引き汐なら、幾ら泳ぎの達人でも船の下側に吸いつけられるということである。幸い上げ汐の際であったので、いったん水に沈んだ潮五郎氏も水面に浮いて来たというのである。

「どぶん、という音がしました。大きな音でした。」
報告に来てくれた人は、話をくり返してこう云った。
(中略)
「でも海音寺さんは、さすがに侠客のことを小説に書く人です。バンドにつかまって、やっとのこと岸壁にすがりつきましたが、落ちついたものでした。私たちがわいわい云っていると、ものども騒ぐなと云いました。泰然たるものです。」

この報告に来てくれた人は、まだ少年の域を脱しきっていないような、頬や口もとの清潔でふんわりした感じの青年であった。話を面白くするために潤色しているような、決してそんな遊び半分のところはなさそうに見えた。しかしこの青年もおぼろげながら、潮五郎氏のことを単なる侠客物作家と見てはいないように思われた。一口にいえば潮五郎氏は正義派の豪傑の卵である。また里村君の表現を拝借していえば「彼は烈火の闘魂をひそめている大旦那」である。


「ものども騒ぐな」とはさすが海音寺潮五郎さんと言いたいところですが、これまた伝説と事実に若干の相違があるようなのです。当事者である海音寺潮五郎さんが書いた「サイゴン河の水の音」(全集第21巻収録)によると、実際には次の様子だったそうです。

自由行動を終えて戻ったその晩、海音寺潮五郎さんは不寝番を命令されました。翌日、海上トラックで次の目的地に出港する予定で、荷物の積み込み作業を見張るためです。ところが、昼間の酔いがまわってきた海音寺さんを見かねた相番が無理せず寝ているようにと勧め、海音寺さんはぐっすりと寝入ります。

目を覚まし、小用を済ませた海音寺さんは、寝ぼけ半分で岸壁から海上トラックに戻ろうとします。何気なくトラックの舷側に手をかけてよじ登ろうとしましたが、岸壁とトラックの間には数メートルもの間隔があることが頭から抜け落ちていました。海音寺さんは水中に落下します。

ここからは海音寺潮五郎全集から引用すると、

「はてな、はてな、へんなところへ落ちこんだぞ。どこだろう、どこだろう、アッ!川へ落ちたのだ!」
酔っているから、高速度映画のように頭の回転が悠長だ。あわてもしない。
「まあ、いずれ底につくであろう。そしたら、底を蹴って上がればよい」

ぼくはそう考えて沈むにまかせていたが、中々底につかない(底につかなくてよかったのだ。サイゴン河の底の泥の深さといったら大へんなもので、これにメリこんだ日には浮き上がれるものではないようだ。天津の白河とともに海員仲間の難所になっている由)。こりゃいかんと思った。そろそろ浮き上がる工夫をせんければ、と、ぼくは両手で水を下にかいた。

苦しくはなかったが、相当長い間かかったように記憶している。ポカリと水面に浮かび上がってみると、トラックの上は大さわぎだ。
「アッ!誰かおちた!誰か落ちた!」
と、人々がさけび立てている。
「アッ、海音寺さんだ!」
と、いう声も聞こえた。

とたんに、ぼくの考えたのは昨夜の中佐との論争であった。この醜態を中佐に知られたくないと思った。
ぼくは、トラック上をにらんで一喝した。
「さわぐな!」
伝説では、この時、ぼくが、
「者共、さわぐな」
と、言ったということになっているが、これはなかまの作家諸君のデフォルメである。それほどの芝居気はぼくにはない。

とのことでした。

一歩間違えば大事になるところでしたが、無事に救い上げられてしまうと何というか、戦地に向かっているとは思えない暢気な逸話ですね。

海音寺潮五郎さんは1年間従軍していたわけですが、従軍記と呼べる作品をほとんど書いていません。例外的な作品が『海音寺潮五郎全集』に収録されており、それを紹介しているのですが、これを読む限りでは、日本軍の勢力下にあったマレーでは戦争の生臭さを感じさせるような事件は起こらなかったかのようです。

もちろん、戦争の現実はそんな生やさしいものではありませんが、ここでは海音寺潮五郎さんのことを語るのが目的ですので、もう少し、ほのぼの系の逸話を紹介してこの一連の企画を終わらせたいと思います。


特別企画:海音寺潮五郎 戦地を行く

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その2)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その3)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その4)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その5)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その6)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その7)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その8)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その9)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その10)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その11)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(最終回)

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