日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その4)

話は前々回からの続きになります。江戸から明治へと時代が移りゆく中で、当時の日本人になじみの深かった「儒教」と「仏教」という2大宗教が、その影響力を大きく減退させてしまいました。そんな中、明治新政府が国家的宗教として意図的に選択し、国民への普及を図ったのが「神道」です。しかしながら、この「神道」が日本古来の伝統的な神道ではなく、皇国史観に基づく国家神道だったところに日本の不幸があります。これは神道といっても「ニセ神道」だったのです。

日本古来の神道は、日本人の自然を崇拝する心に由来しているといわれます。雄大な山野や生い茂る木々、巨大な岩や、滔々と流れて尽きることのない大河といった自然物に対して、神秘の念を持ち、それらの自然を敬う心が神道の源です。自然は人間に恵みのみを与えるわけではありません。雷や大雨、洪水など、人間の生活に害をなす自然現象も存在します。古来の日本人が持っていた、そういった自然災害を鎮めようとする心もまた神道の源でした。
時代が下ってくると、崇拝の対象は自然のみに留まらず、この世に恨みを残して死んだ人の霊魂を鎮魂する行為も神道の中に現れてきます。例えば、菅原道真を天神様として祀るのがそれにあたります。

しかし、明治の政府が押し進めた国家神道はそうではありません。これについて、以前にも紹介した『梅原猛の授業 道徳』(梅原猛 朝日文庫)から紹介すると、

ところが、明治時代になりまして、そういう神道(引用者注:日本古来の伝統的な神道)はよくないとされた。そして天皇の先祖と天皇自身を崇拝することのみが神道とされました。これは神道といっても新しい、近代的な神道と言えますが、本当の神道の精神からは逸脱していると思います。
 天皇の祖先を祀っているのは伊勢神宮です。お伊勢さんには外宮と内宮がありますが、中世以来、外宮が信仰の中心でした。それが明治以後、天皇家の祖先である天照大神を祀った内宮が信仰の中心になった。それから、東京には明治神宮がつくられた。ここは明治天皇という天皇を祀っている。天皇は神さまになった。神道を、いわば天皇教という新しい宗教に変えたわけです。


とあります。
日本古来の伝統的な神道のあり方を歪め、天皇教とも呼べる宗教に仕立て上げてしまった。それが明治後の国家神道だったわけです。

明治以後、儒教と仏教の衰退によって、それらを母胎とする道徳、「儒教的価値観に基づく行動規範」、「仏教的価値観に基づく行動規範」は、日本人の中から次第に稀薄になっていきました。そんな時代にあって、当時の政府は新しく作った天皇教を母胎とする道徳を自ら作り出すことにしました。それが教育勅語です。

前にも書きましたが、道徳というものは宗教に裏打ちされていると非常に分かりやすく、人々に受け入れられやすくなります。教育勅語(教育ニ関スル勅語)は「天皇教的価値観に基づく行動規範」なわけですが、明治天皇が国民に直接呼びかける文体で書かれていますので、それを読む人々にとっては、
 神(現人神)である天皇陛下がこのように仰っているからそれに従おう
となるわけです。
もちろん、人がこのような反応とするには天皇教を信仰していることが条件となりますが、幕末から受け継がれてきた尊皇思想の影響もあって、明治の世で天皇教を信仰することは、大多数の日本人にとってはごく普通のことでした。

教育勅語というと、戦前の大日本帝国を連想させるため、無条件に拒否反応を示す人もいると思いますが、書かれている内容をじっくり味わうと、それほど悪いものではありません。教育勅語については、ネットで調べれば簡単に出てくると思いますが、原文についてはここを、その意味についてはここを参考にして下さい。

内容そのものはけっして悪くない教育勅語ですが、大きく二つの致命的な問題を抱えていました。それは、教育勅語があまりにも絶対的権威でありすぎること。もう一つは宗教色が非常に薄いことです。
これも『梅原猛の授業 道徳』を引用しながら説明しますと、

 しかし、これにはまずいところもあります。どこがまずいかというと、天皇陛下を神とすることになれば、それに対する批判は許されない。教育勅語は批判を許さないんだ。大学の先生がちょっとでも天皇制や教育勅語の批判をしたら首になる。職を失うどころか、命さえ失いかねない。そういう例がたくさんあったんですよ。
 批判を許さないということは、自由な思惟、自由な思想が妨げられる。これは重大なことですね。イギリスの哲学者のバートランド・ラッセルは、天皇の言葉に批判を許さないような国家は近代国家ではないと遠慮なく言っています。それはやはり近代国家としてはまずいんです。


とまず第一の問題を述べています。そして、

 そのことと同時に、私がもうひとつ言いたいのは、教育勅語において伝統思想がほとんど継承されていないことです。勅語に取り入れられた伝統思想は尊皇思想だけです。尊皇思想がどれだけ日本の伝統であったかは疑問に思います。むしろ天皇に対して自由なことを言ってきたのが日本という国でした。


とあります。
ここで梅原氏が言う「伝統思想」というのを、私は「宗教色・宗教性」と置き換えて理解しました。教育勅語に書かれている内容を裏付ける権威としての宗教です。梅原氏の分析では、教育勅語に含まれている伝統思想=宗教色は、儒教の「忠」の概念のみであり、その他は付属物に過ぎないとのことです。これでは、人々を教え諭す規範としては、あまりにもいびつだと言わざるをえません。

ともかく、明治後の日本人は、現人神たる天皇の権威をほとんど唯一の立脚点とする、非常に宗教色の薄い道徳を実践することになりました。教育勅語の発行が明治23年、昭和の敗戦で効力を失うまでざっくり60年間、日本人は後生大事に、ここに書かれた道徳(行動規範)を踏み行うことが人間としての美徳だとされていたのです。
そして、最大の悲劇が日本をおそいます。昭和20年、敗戦。連合国に占領され、事実上、日本は滅んだのです。

敗戦によって現人神たる天皇の権威は否定されることになりました。つまり、天皇教の終焉です。既に日本では儒教も仏教も権威を持たず、そしてここに天皇教も権威の地位から去りました。ドストエフスキーが
 「宗教なくして道徳はない」
と言ったといいますが、日本には「宗教のない」時代が来たのです。それはつまり「道徳のない」時代の始まりです。

道徳のない時代は、敗戦から平成の今日まで続いています。それは日本人の心に宗教心が乏しいからです。その原因は日本古来の伝統を否定した明治政府の施政方針、そして明治後に新しく作り出された天皇教=国家神道のあり方と、それをよりどころとした宗教色の薄い教育勅語の存在にあったと私には見えます。
そして、宗教心の乏しい日本人を大量に生み出すのを、決定的に後押しした人物の存在も見逃すことはできません。ついにたどり着きました!塾長・福沢諭吉の登場です。以下、次回。


◆連載一覧

 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その2)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その3)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その4)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その5)

 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(その6)
 
 ・日本の道徳崩壊と福沢諭吉(完結編)

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  • 一体誰のための道徳か?

    Excerpt: これまで色々と道徳の問題を考えてきましたが、簡単におさらいしておきましょう。まず、ドストエフスキーの言葉、「宗教なくして道徳なし」を取り上げました。道徳は宗教の持つ権威・絶対性によって支えられています.. Weblog: 海音寺潮五郎応援サイト ~ 塵壺(ちりつぼ) ~ racked: 2009-03-07 16:35