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zoom RSS 海音寺潮五郎 戦地をゆく(その10)

<<   作成日時 : 2009/12/30 09:06   >>

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海音寺潮五郎さんらがマレー作戦に従軍している頃、日本国内の文壇は戦争協力の動きを強めていました。昭和17年5月、「日本文学報国会」が結成されたのです。何度か引用している資料(『坂口安吾と太平洋戦争』半藤一利)によると、遂行中の戦争が「国家総力戦」であることを念頭に置いて、総力戦のために文学者の大同団結を目的とする会だったそうです。

昭和17年6月18日、日比谷公会堂で日本文学報国会の発足式が行われますが、その席で吉川英治が「文学者報道班員に対する感謝決議」を提唱したそうで、これも資料によると、

「・・・銃後われ等同僚、同田同耕の士もまた今日無為なるに非ず、文芸文化政策の使命の大、いまや極まる、国家もその全機能をわれ等に求め、必勝完遂の大業もその扶与をわれ等に命ず。・・・」


という内容だったそうです。
少し分かりにくいですが、海音寺潮五郎さんをはじめ、既に従軍中の報道班員に負けぬよう、国内にいる文学者も戦争必勝完遂のための言論運動を積極的に進めよう、ということです。

吉川英治はこうした活動の先陣をきる意味を込めたのか、大本営から詳細が公表された真珠湾攻撃を題材に、派手に戦争を讃美する文章を発表しています。前に少し触れた

 「人にして軍神---あヽ特別攻撃隊九勇士」

がそれで、真珠湾攻撃で戦死した特殊潜航艇の乗組員を讃える内容です。

「自分の命を捨てにゆく柩を自分で設計していたという科学精神と純忠の濁りなさに至っては、その清さ、気高さ、気建て、麗しさ、勇しさ、床しさ、言語に絶する」


と、手放しで乗務員達の行為を褒めそやし、「日本人よ、彼ら九勇士に続け!」と言わんばかりです。どうも吉川英治はうさん臭い

実は、司馬遼太郎さんが直木賞を受賞した際の、吉川英治と海音寺潮五郎さんの論争に端を発し、吉川英治のこと調べていると、代表作である『宮本武蔵』や『新書太閤記』を執筆した吉川英治の動機に不純なものがあるような気がしてきました。
そうしてたどり着いたのが、戦時中、旧日本帝国・旧日本国軍に積極的に協力していた吉川英治の姿だったというわけです。
しかし、当時、日本国内のメディアは戦争協力一色だったようで、権力に媚びたのは吉川英治だけだったわけではないことを一応断っておきます。

さて一方、戦地にいる海音寺潮五郎さんはどうだったしょうか?既に紹介した通り、輸送指揮官であるヒゲ中佐との衝突に始まり、どうも素直に軍務に励んでいたとはいかないようです。
マレー半島のタイピン到着後、報道班員の上官はヒゲ中佐から別の准尉に替わりますが、その頃の海音寺潮五郎さんは下記のような様子だったそうです。(出典は井伏鱒二『徴用中のこと』)

私たちには(タイピンで宿営中)太陽が出る前に朝の訓辞をして歩行演習というのと敬礼演習というのをさせた。(中略)
髭の准尉は、教練のときは一生懸命で、むきになった。敬礼演習では、「お前の敬礼は駄目だ。老将軍の真似をするような手つきだ」と私は叱られて、二度までやりなおしをさせられたことがあった。海音寺潮五郎は敬礼演習にも歩行演習にも、腹痛だと云って一度も出たことがなかった。准尉も海音寺さんの腹痛には異論を出さなかった。貫禄の至すところではなかったかと思う。


ということで、海音寺潮五郎さんは「軍には協力しない」、「軍の命令は聞かない」という態度を強化させていきます。
そして井伏鱒二氏が書くには、最終的には次のような態度だったそうです。

(海音寺潮五郎は)輸送指揮官のお粗末な傲慢ぶりに腹を立て、「軍は、我々の取扱い方を知らんから、僕は何もせんつもりだ」と云って、マレーに行ってからはコーランポーにいたが何の職も持たなかった。最後に宣伝班全員の帰還が近づいて、宣伝班長がシンガポール集結の命令を出したが、海音寺はその命令に従わなかった。軍は一度出した命令は二度出すことはないそうだ。それで班長は仕方なしに、シンガポールからコーランポーに行って、雑談の体裁でシンガポールへ来させるようにした。


「帰国するから集合せよ」という命令まで無視するのですから、その徹底した態度には頭が下がりますが、そのままマレーに取り残されたらどうするつもりだったのか?と、読んでいるこちらがハラハラします。
ともかく、こうした海音寺潮五郎さんですから、
「徴用中は軍への協力を拒否し、無為に徹した」
と評されるのもわかる気がします。

ただ、ここで見落とせないのは海音寺さんをクアラルンプールまで迎えに行った宣伝班長です。
軍としては、命令を無視している海音寺さんを置き去りにしてしまっても文句を言われる筋合いはなかったはずです。しかし、この班長は海音寺さんが拒否的な態度をとるに至った背景を多少なりとも知っていて、その境遇への同情があったのでしょうか、わざわざ自分が迎えに行って、「雑談」という体裁をとってまで、海音寺さんが帰国できる手はずを整えたのです。

自虐史観に染まった反日歴史教育を受けてきた私としては、かつての日本には狂気に支配された軍人しかいなかったかのような印象を持っていましたが、事実は決してそうではありません。
当たり前ですが、当時の日本人・軍人の多くは、日本人らしい人間味に溢れていました。その一例を上記の宣伝班長の行為に見ることができるようです。

ただ惜しむらくは日本は戦争に敗れ、その結果、現在の日本と昭和20年以前の日本との間には大きな断絶が出来てしまっています。歴史を正しく認識し、その断絶を埋める努力が必要だと私は思います。


特別企画:海音寺潮五郎 戦地を行く

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは
少しご無沙汰している内に随分進まれましたね。
ここ数週間忙しくしていますので、お正月明けにゆっくり読ませていただこうと思います。
今年一年、いろいろとお教えいただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
花姥
2009/12/30 22:48
花姥さん、こんにちは。

お忙しくされている中、コメントいただきいつもありがとうございます。
長々と書き続けていますが、あと2回ほどでひと区切りにしようと考えています。来年もよろしくお願いします。
モモタ
2009/12/31 16:19
ご無沙汰しました。
遅蒔きながら、貴重なご文章を再読させていただいています。
>当たり前ですが、〜〜歴史を正しく認識し、その断絶を埋める努力が必要・・・。
全く同感です。
モモタさんたちが地道に活動してくださることをたいへんうれしく頼もしく思っております。
今後もなお一層のご活躍を期待しています。
花姥
2010/04/07 14:04
花姥さん、すっかりご無沙汰しています。

いつもご愛読ありがとうございます。
このところブログ更新が滞っていますが、そのうち再開するつもりですので、その際にはまたよろしくお願いします。
モモタ
2010/04/07 15:35

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