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zoom RSS 海音寺潮五郎 戦地をゆく

<<   作成日時 : 2009/11/02 13:10   >>

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海音寺潮五郎さんは陸軍報道班員として徴用され、太平洋戦争開戦当初のマレー作戦に従軍しています。当時のことで面白い逸話をいくつか残していますが、事実(史実?)を面白おかしく脚色して世に広めたのは、一緒に従軍した井伏鱒二氏だそうです。おそらく様々な場所で当時のことを執筆し、それが次第に広まったのだと思います。今日は私の手元にある資料から、「伝説のはじまり」を紹介します。

海音寺潮五郎全集第17巻(武将列伝「下」)に同包されている小冊子に、井伏鱒二氏が「入隊当日のこと」という文章を寄せています。そこに例の
 「ぶった斬ってみろ!!」伝説
が載っています。
少し長くなりますが、まずは海音寺潮五郎さんの従軍生活の始まりとして、取り上げます。

昭和十六年の秋から翌年の秋にかけ、私は海音寺さんと同じ徴用仲間であった。そのころの軍隊用語で云えば戦友である。
(中略)
徴用者心得書には、なるべく目立たぬ服装で軍刀を持参せよと書いてあった。たいていの人はジャンパーまたは背広を着て軍刀を紫の袋に入れて持っていたが、私は釣師の服装をして細身の軍刀を入れた竿袋を持っていた。
(中略)
歴史小説家で日本史に詳しい海音寺潮五郎は、朱鞘の大刀を真田紐で不断着の背中へぶら下げてきた。これにはみんな驚いた。今ならテレビでよく見る忍者の風体だが、当時のことだから中国の物語にある股くぐりの韓信みたいだと云う人がいた。宮本武蔵と対決した佐々木小次郎みたいだという人もいた。海音寺自身は超然として長い刀を背負っていた。

徴員たちは兵舎に入ると宣誓式をさせられて、宣誓書に判を捺させられた。これでもう地方人ではなくて軍籍に身を置いた者ということになる。生命は指揮官の掌中に握られてしまった。ところが指揮官の訓辞が強引にすぎた。宣誓式がすむと壇上に出て、いきなり居丈高にこう云った。

「お前たちの生命は、今からこの俺が預かった。ぐずぐず云う者は、ぶった斬るぞ・・・」

すると徴員たちの誰か一人が、
「ぶった斬って見ろ」
と大きな声で云った。
一同騒然となった。途端に卒倒して医務室に担ぎ込まれる者がいた。これは癇癪の発作を起こして倒れたということで、即日帰郷になったので、みんなから大いに羨まれた。「ぶった斬って見ろ」と云ったのは海音寺潮五郎であった。当時、軍人に向かって、しかも自分の直属指揮官に向かって、そんな発言をするのは容易な覚悟ではない。背中の日本刀がそれを発言させたわけでもあるまいが、常識では考えられぬことである。

海音寺さんは戦地に着いてからもずっとそんな態度を崩さなかった。朱鞘の大刀も相変わらず背中にぶら下げていた。自分で納得行かないと梃子でも動かない人に見えた。


ご存知のとおり、太平洋戦争はこの年の12月に真珠湾攻撃で幕を開けます。同時にマレー半島を中心に東南アジア方面での作戦も開始され、翌年(昭和17年)2月にはシンガポールを攻略。7月にフィリピンを制圧と、開戦当初の快進撃が続きました。
その一方で、6月にはミッドウェー海戦での大敗北があった、そんな時期に海音寺潮五郎さんは戦地にいたわけです。

太平洋戦争当時、新聞や雑誌などのマスメディアは戦争協力を精力的に推し進めました。作家などの文化人が戦地に赴く活動も、戦争協力の一環として生み出されたものです。そうした活動のため敗戦後、公職追放を受けた人もいます。

メディアの戦争協力について語った書籍は、数多く出版されているのだとは思いますが、例によってネットではあまり詳しい内容が分かりません。
そこで今回、海音寺潮五郎さんの従軍の足取りを細々と(何しろ、こちらについても情報が圧倒的に乏しいので)追いながら、自分なりに当時の状況を整理してみようというのが今回の連続企画の意図です。

偏った参考文献をもとに、たいした構想もなく書きますので、前後脈絡がなくなるかもしれませんが、これから数回、このテーマで行きます。


特別企画:海音寺潮五郎 戦地を行く

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その2)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その3)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その4)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その5)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その6)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その7)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その8)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その9)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その10)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(その11)

 ・海音寺潮五郎 戦地をゆく(最終回)

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徴用時代年譜
海音寺潮五郎の徴用時代を年譜にしてみました。 海音寺は徴用体験の詳細を著しておらず、随筆等でその一端が窺えるのみとなっています。 そこで、同時に徴用された作家たちの記録から、海音寺がたどった道のりを推測しています。 ...続きを見る
海中アンテナ
2009/11/04 00:06

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは
父は、一兵卒として、マレー、インドネシア、ジャワ島方面にも行ったそうですので、連載を楽しみにしています。
花姥
2009/11/02 17:03
花姥さん、こんにちは。

そうですか、お父様が同じく東南アジア方面に従軍されていたのですね。
私の方は、祖父が関東軍に所属し、大陸に行っていたと聞いています。残念ながら、まだ幼かったこともあり、戦争の苦労話は聞けずじまいでした。
モモタ
2009/11/03 06:58
お久しぶりです、みやこです。
偶然にも、私もマレー時代の海音寺に興味があり、文章を書いてみました。拙いですが、お読みいただければうれしいです。
モモタさんのように歴史に通じてませんので、多角的な検証ができないところが悩みです。
みやこ
2009/11/04 00:23
みやこさん、こんにちは。すっかりご無沙汰しています。

「徴用時代年譜」とお書きになった文章、拝見しました。素晴らしいです。私はほとんど全集と『日、西山に傾く』だけで今後の内容を書くつもりでしたので、みやこさんの豊富な参考文献が羨ましいです。

『マライ華僑記』もお持ちなのですね。興味はあるのですが、金に糸目を付けずとまではいかないもので、なかなか手に入りません。いつか読んでみたいのですが。

みやこさんの文章の続き、楽しみにしています。
モモタ
2009/11/04 04:29
マライ華僑記は、地元の図書館にリクエストして、他市から取り寄せてもらいました。
こんなに古い書籍も無料で貸し出しできる日本の図書館のありがたさを感じます。
最近はオンライン化が進み、自宅にいながら遠くの図書館の収蔵状況がわかるのですから、便利になったものです。
みやこ
2009/11/05 10:36
みやこさん、こんばんは。

なるほど、そうでしたか。私も図書館は利用していますが、地元のみです。図書館同士の連携もできるのですね。便利な世の中になりましたね。私もぜひ、借りたいです。
モモタ
2009/11/05 20:18

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