|
海音寺潮五郎さんの作品を紹介することを目的に活動しているこのブログで、意外なタイトルを目にされて「おや?」と思われた読者がいるかもしれません。以前から不思議に思っていたことなのですが、ネット書店で「海音寺潮五郎」と入力して検索すると、このタイトルにあげた岡本綺堂氏の「中国怪奇小説集」が表示されることがあります。その理由が分かりましたので、海音寺潮五郎さんとの関わりと共に紹介してみます。 先日、例の悪名高き古書チェーン店をぶらついているときに、この岡本綺堂著『中国怪奇小説集』を見つけました。特にこの本を探していたわけではなく、ほとんど無意識に本を手に取り、パッと中を開くと、そこに「海音寺潮五郎」という文字が書かれているのが目に入り、そのときになってハッと気がつき、 あぁ、これが検索に出てくる例の本か。 と認識した次第です。 この本を手に取ったのは、私にとっては全く不可思議な感じがします。私の日常生活は家族第一なのは言うまでもありませんが、仕事よりも海音寺潮五郎さんのことを寝ても覚めても考えていますので、いつのまにかこんな芸当が出来るようになってしまったのでしょうか(笑) さて、この『中国怪奇小説集』には「綺堂先生に感謝する」というタイトルで、海音寺潮五郎さんの序文が付いています。ネットの検索結果に表示されるのもそれゆえなのですが、そこで海音寺潮五郎さんが述べているには、 綺堂先生がなぜこんな仕事をされたかは、本書の冒頭の文章と各篇のはじめにある文章とを読めばあきらかだ。こうした支那の怪奇小説の日本文学におよぼした影響を世に知らせるためであったに違いない。 日本の文学はずいぶん強い影響を受けている。正史である日本書紀にすら、それがある。雄略紀の水江の浦島子の話ももちろんそうだが、やはり同紀の飛鳥部郡田辺の史伯孫の話もそうだ。 (後略) ということです。 これを読んでピンときた方もいらっしゃると思いますが、これは、 古代中国の歴史を知らなければ、日本の歴史や文学を理解できない とする海音寺潮五郎さんの考え方に通じるものがあります。海音寺潮五郎さんは『中国英傑伝』を書くことによって、古代中国の歴史を分かりやすく読者に提示しようとしたわけですが、分野こそ違え、岡本綺堂氏のこの作品も同じ意図をもって書かれていたわけであり、だからこそ「綺堂先生に感謝する」となるわけですね。 ちなみに、岡本綺堂氏といっても私はよく知らないのですが、1872年生、1939年没ということですから、海音寺潮五郎さんよりも古い時代の作家で、捕物帳の元祖ともいうべき『半七捕物帳』の作者として有名なんだそうです。 既に没後50年以上を経過し、著作権保護期間を満了しているため、いくつかの作品は「青空文庫」に収録され、この『中国怪奇小説集』も含めて、ネットで読めるようになっているようです。 ところで、私が手にした『中国怪奇小説集』は光文社時代小説文庫から出ているものですが、この本は読者を誤ること甚だしいと言わざるを得ません。「怪談コレクション」というおどろおどろしい副題を付け、思わせぶりなダークな色調のカバーを被せてあり、一体どれほど恐ろしい話が収録されていることかと想像しますが、その実、話の中身は大したことはありません。 原題が「怪奇小説」となっているのは仕方ありませんが、「怪奇」という言葉でイメージされる内容ではなく、敢えて言えば「奇妙」、「不可思議」という表現が適していると私は感じます。そのむかし、「まんが日本むかし話」というアニメを放映していましたが、ここに出てきたような話が収録されていると思ってもらうとほぼ間違っていないと思います。 狐が人をばかりしたり、鬼が出てきて人を襲ったりと、そんな話が満載です。実際に「この話、どこかで聞いたような気がするぞ」というのも少なくありませんでした。 知識としてためになったのは、この『中国怪奇小説集』の中に、 源頼光が大江山で酒呑童子を対峙する内容の原話があったり、 滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」でそっくりそのままぱくった内容の原話があったり、 三遊亭円朝が「牡丹灯籠」に仕立てた内容の原話があったり、 と、みごとに色々な作品で影響を受けていることがわかったことですね。それなりに面白く読めた作品でした。
|
| << 前記事(2008/05/31) | トップへ | 後記事(2008/06/18)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/05/31) | トップへ | 後記事(2008/06/18)>> |