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zoom RSS 海音寺潮五郎『日本歴史を散歩する』(その2)

<<   作成日時 : 2008/04/12 14:03   >>

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にわかに復活ラッシュの様相を呈している海音寺潮五郎さんの諸作品。2年前までの無惨な品揃えがウソのようです。どれから読めば良いのか迷うほどの状況ですが、多くの人がまず『武将列伝』を手に取ることでしょう。一方で、なかなか新たな読者を得られそうにない作品がひとつあります。『日本歴史を散歩する』がそれです。何を血迷ったか、PHP研究所がこの作品を単行本として発売したため、読者を遠のかせる結果となっています。初出は昭和31年という古い作品ではありますが、以前にも紹介した通り、海音寺潮五郎さんは「これこそが本当に自分の出版したいものだ」と評していた作品なので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいものです。

この『日本歴史を散歩する』「長久保なほ」という作品が収録されています。このタイトルは、ある女性の名前をそのまま採ったものですが、この女性は近代日本における隠れた偉人とも言うべき人物です。
しかし、今ネットでこの「長久保なほ」という名前を検索しても、ヒットする情報はほとんど皆無です。この女性がどんな人で、どんなことを成したのか全く分かりません。唯一出てくる情報は、海音寺潮五郎さんが執筆した「長久保なほ」という作品名のみです。

作品中に明記はされていませんが、話の舞台は那珂川の下流、現在、那珂湊と呼ばれるあたりです。地元の人以外はあまり知らないと思いますが、那珂川というのは栃木県から茨城県を流れて太平洋に注ぐ河川で、作品中で海音寺潮五郎さんは
 栃木県第一の大河
と称しています。その最下流に那珂湊という町があります。私は茨城県人でして、この那珂湊の対岸にある大洗によく行きますので、わりと身近に知っている河川です。

鉄道や舗装道路が発達する以前、河川は物流を担う重要な立場にありました。那珂湊も舟運の拠点として繁栄していましたが、明治に入って間もない頃、うち続く風浪によって海からうち寄せられた土砂のために、河口がふさがって河川の流れが変わってしまい、那珂川は那珂湊とは別の河口へ注ぐようになってしまったのです。
舟運の用をなさなくなった那珂湊はこれが為にさびれ、町からは活気が消えました。町の人は対策を考えますが、自然の猛威の前になすすべ策も見つからないというありさまでした。

そんな町を救うために立ち上がった一人の人物がありました。それが長久保なほです。誰にも力を借りず、たった一人で彼女はいかにして町を救ったのか?それを私たちに教えてくれるのが、海音寺潮五郎さんの「長久保なほ」という作品です。

海音寺潮五郎さん自身、実際に那珂川の雄大さを見聞して、
 殆どこの話を信ずることが出来ないような気がした
という感動の実話。この作品を読むためだけでも『日本歴史を散歩する』を手に取る価値があると思います。
日本歴史を散歩する

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