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昨年から復活刊行が続いていた海音寺潮五郎さんの大長編史伝『西郷隆盛』ですが、ついに第9巻まで出そろい、これで完結しました。良く知られている通り、西郷隆盛の全生涯を著述することなく、作者である海音寺潮五郎さんの死と共に、未完のまま途絶したのです。 一部の例外を除いて、私は海音寺潮五郎さんの主要作品を全て読み尽くし、最後に残ったのがこの『西郷隆盛』でした。図らずも、絶筆となった『西郷隆盛』を読み終えたことで、私の 海音寺潮五郎さんの作品を全て読破する といく目標も完結したわけですが、この作品を読む前に抱いていた疑問のいくつかは解消され、いくつかは解けないまま残りました。 それらの謎を今後、何回かに分けて取り上げたいと思うのですが、まず手始めに、海音寺潮五郎さんの『西郷隆盛』は、どうして未完に終わってしまったのかについてです。その大きな理由の一つは、海音寺潮五郎さんがご自身の寿命を読み違えていたことにあるようです。 このブログでも繰り返し述べていますが、海音寺潮五郎さんは昭和44年にマスコミ等の第一線活動からの引退を公表しています。さらにこの以前に、親しい友人には引退を内々にうち明けていたともいいます。これは西郷隆盛伝の完成など、海音寺さんが真に取り組むべきと考える活動に専念するためだったわけですが、『日、西山に傾く』に収録の「なぜ直木賞委員をやめたか」の中で、海音寺潮五郎さんは次のように述べています。 この引退はいろいろな理由が錯綜してのことではあるが、最も大きな理由はわが余命十年とふんだからである。ぼくの父母はともに七十八で死んでいるが、一昨々年ぼくは六十八であった。人の寿命は多くは健康とは関係が薄く、血統的素質が最も関係が深い事例を、ぼくは数多く見て来ている。 十年といえば、日数にして三千六百五十日である。一日に五枚ずつ書いても一万八千二百五枚、十枚ずつにしても三万六千五百枚しか書けない計算になる。 「うかうかしておられない。一切をなげうって専心にならんければ、間にあわんぞ」 と思ったのであった。 ここにあるとおり、海音寺潮五郎さんは68歳のときに、 余命10年、78歳までしか執筆活動を続けられない と見極めたわけですが、実際にはそれより2年早く、76歳で亡くなりました。結果的に、この2年の読み違いがあったために、大長編史伝『西郷隆盛』は未完のままになってしまったのです。 先に引用した『日、西山に傾く』「なぜ直木賞委員をやめたか」で海音寺潮五郎さんは西郷隆盛への思い入れを次のように述べています。 人は、西郷伝などになぜそんなに執念を持つのかというかも知れないが、こんなに骨のおれる、しかも儲からないしごとは、ぼくのようにほれこんだ人間でなkればやりはしないからである。ぼくがやっておかなければ、西郷は誤解の中からついに脱する時がないと思うからである。 これほどの思いで打ち込んでいた作品が未完のままとなり、海音寺潮五郎さんはさぞ無念であったろうと、あらためて思うのです。私も残念で残念でなりません。
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おはようございます。 |
花姥 2008/03/30 11:44 |
花姥さん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。 |
モモタ 2008/03/30 16:56 |
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