海音寺潮五郎応援サイト 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜

アクセスカウンタ

zoom RSS 海音寺潮五郎『幕末動乱の男たち』(その3)

<<   作成日時 : 2008/01/09 22:11   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

海音寺潮五郎さんに『幕末動乱の男たち』という作品があります。以前、新潮文庫から出版されていましたが、現在は絶版状態にあるため、海音寺潮五郎さんの諸作品の中では比較的マイナーな部類に入るかも知れません。しかし、この『幕末動乱の男たち』『武将列伝』『悪人列伝』と並んで、海音寺潮五郎さんが生涯をかけて取り組んだ人物列伝の一つですので、非常に重要な作品なのです。もちろん史伝です。このブログでもはるか昔に簡単に紹介しました。

今回はこの『幕末動乱の男たち』から「山岡鉄舟」を取り上げようと思います。が、私の筆力ではこの作品魅力を伝えきれないであろうと、書く前から悲観的です。
ご存じの通り、山岡鉄舟(鉄太郎)は幕臣として、文字通り「動乱の」時代に活躍した人物です。幕府側にいたということは、敗者側の人間ですから、言葉では尽くせないほどの苦難・苦労があったことと思います。

海音寺潮五郎さんの書く山岡鉄舟の事績の中で、私が特に好きなシーンが二つあります。一つは、鉄舟が幕府の(というより徳川家の)使者となって、「江戸総攻撃」を掲げて進軍してくる朝廷側の西郷隆盛と対峙し、徳川慶喜の助命を嘆願する箇所です。
ここは『幕末動乱の男たち』「山岡鉄舟」でも名場面の一つですが、かなりの長文になりますので引用するわけにもいきません。かといって要約して掲載すると、私の文章力では西郷と山岡が繰り広げる真剣勝負から気魂の抜けた、ふやけた説明した出来ませんので、やめておきます。
ともかく、この場面での山岡鉄舟からは言いようのない気迫が感じられ、西郷が一瞬とはいえ、鉄舟に気をのまれたのがうなずけます。

もう一つは、山岡鉄舟が取り組んでいた禅と剣の修行で悟りに達する場面です。ここも海音寺潮五郎さんの「山岡鉄舟」ではかなり長文で記述されているのですが、意を決して要約して掲げます。

(要約)
山岡鉄舟は剣術を修めるために千葉周作の玄武館に入門し、修行の結果、相当以上の腕前になりました。しかし、小野派一刀流の使い手、浅利又七郎にだけにはどうしてもかないません。度々出かけていって試合を申し込みますが、手も足も出ず、相手の強さを思い知るばかり。これ以降、人と試合をした時には浅利に対峙するつもりで立ち向かいましたが、剣の前に現れる浅利の姿が山のように見え、とてもかないそうにありません。鉄舟は剣術の道で行き詰まってしまったのです。
それから月日は流れ、幕末の風雲も過ぎ、鉄舟はあらためて剣と禅の修行に打ち込み、ある日、ついに悟りを得ました。浅利に対して対峙するつもりで剣を構えましたが、山のような浅利の幻影はついに浮かんできません。
そこで門弟を呼び、道場で立ち会って剣を交えたところ、たちまち門弟が悲鳴を上げて言います。
「先生、ゆるして下さい!私は長い間先生に教えを受けてきましたが、今日のような不思議な剣にはあったことがありません。とても、お相手できません」
この悟りは本物だと思った鉄舟は浅利に試合を申し込みました。

(要約ここまで)

ここからは海音寺潮五郎さんの「山岡鉄舟」から原文のまま引用します。

掛声とともに、山岡は踏みこんでしかけた。とたんに、浅利は飛びずさり、剣を捨て、一礼して言う。
「あなたは無敵の極処に達せられました。よくそこまで工夫なされた。大進歩です。とうてい拙者はおよびません。秘伝をお伝えします」
と、伊藤一刀斎以来の無想剣の極意を授けた。これは、山岡が剣法を学びはじめてから三十七年目、浅利を意識しはじめてから二十四、五年も経っていた。彼は四十五であった。
間もなく、滴水和尚が東京に出て来たので、すぐたずねて行って、見解を呈すると、滴水は、
「よし!」
と言って、いかにもうれしげな顔で、その家の人に、
「山岡さんにビールをあげて下さい」
と言った。山岡が願翁に参禅してから、これまた、二十四、五年の歳月が経っていた。
山岡は快談哄笑、大きなコップで忽ち一ダースをのみほし、さらに来た半ダースものみつくしかけた。山岡の様子は天馬が自在に虚空を飛翔するような、朗々たる濶達さがあり、座にいる人が皆楽しくなるほどであった。
山岡はこの頃から、胃が悪くなっていた。後に胃癌となって明治二十一年の夏死ぬのだが、この頃はまだ癌ではなかったろうが、よほど悪かったので、滴水は、
「あんた胃病じゃがな。少しは加減しなされ」
と、忠告した。
「なるほど、少し過ぎましたかな。ハハハ」
と、いかにも愉快げに哄笑して、帰って行った。その家の主人江川鉄心も禅の修行をしている人間だったので、後年、
「あの時の山岡先生のすばらしい様子を見て、どうぞして自分もあれくらいな悟りをひらきたいものだと、うらやましくてならなかった」
と、言ったそうである。


いかががでしたか?ちなみに、上記引用に登場する願翁、滴水は共に山岡鉄舟の禅の師匠の名です。かなりな長文になってしまいましたが、この場面での山岡鉄舟の楽しげな様子を読むたびに、私は微笑ましくなります。
山岡鉄舟は「高士」と呼ばれるほどの人物になったそうですが、この悟りが深みがあって高潔な人格を支えていたのでしょうね。
幕末動乱の男たち〈下〉 (新潮文庫)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
海音寺潮五郎『幕末動乱の男たち』(その3) 海音寺潮五郎応援サイト 〜 塵壺(ちりつぼ) 〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる