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井伊直弼が暗殺されたとき、誰一人としてそれを悲しんだ者がいないというと言い過ぎですが、当時の幕府や日本の行く末を憂えていた人々からは、悲しむどころか逆に喜ばれたということを前回紹介しました。殺された井伊直弼にすればいい面の皮ですが、なぜ彼はこれほどまでに当時の人々から嫌われていたのでしょうか?もちろん、嫌われるようなことをしたからです。その点について、海音寺潮五郎さんの大長編史伝『西郷隆盛』から見てみましょう。 幕末に大老として強権を振るった井伊直弼が人々から嫌われ、恨まれ、憎悪されるに至るにはそれだけの十分な理由があります。十分過ぎてとても簡潔には説明しきれませんが、例えば「安政の大獄」の処分に関するものでは次のような事実があります。 これは越前福井藩主の松平春嶽の家臣として幕末に活躍した中根雪江の記した『続再夢紀事』に書かれていることとして、海音寺潮五郎さんが『西郷隆盛』で引用しているのですが、中根雪江が書いているには、 一つは安政大獄において、はじめ評定所では水戸の執政安島帯刀のような者は叱りおく程度のものにし、橋本左内のような者は国許へ送り返して慎しみ程度のものにすることに罪案をつくり、すべて軽罪にするつもりでいたところ、井伊はこの罪案に附箋して(原注=大老の附箋した案記が現存しているという)、安島を切腹に、橋本を斬罪にというように、その他もすべて重罪に改めたのである。 とあるそうです。 井伊直弼が橋本左内を罪に問うたことについて、海音寺潮五郎さんは、 その左内を井伊が逮捕したのは、将軍世子問題について井伊に同調せず、井伊の擁立しようとしている紀州慶福(家茂)の最も有力なライバルである一橋慶喜派の最も優秀な闘士であったからである。要するに、私憤を晴らそうとしているに過ぎないのだ。 と述べています。 その私憤の果て、しかるべき部署が軽罪に済ませる案を作成してきたのを翻し、死罪にしたのですから、井伊直弼の仕打ちがいかに世の中の憎悪をかったか想像に難くありませんね。 しかも斬罪というのは単なる死罪ではありません。武士を武士らしく扱って死罪にするのであれば、切腹を命じるべきところ、武士らしい死ではない斬罪に処したのです。かれこれ考えるに、井伊直弼は恨まれて当然だと言わなければなりません。 これは一例に過ぎませんが、海音寺潮五郎さんは別の場所で 「橋本左内一人を殺したことだけでも、井伊直弼の罪は絶対に許されない」 と述べています。 吉田松陰と共に、橋本左内が明治新政府に是非とも欲しかったと海音寺潮五郎さんが述べているのは、既に紹介した通りです。 井伊直弼が「安政の大獄」という恐怖政策を振り回すまでは、現行政権である幕府を機能強化し、動乱の時代を乗り切っていこうという考えが当時の有識者の主流だったのです。ところが、井伊直弼の仕打ちに人々は失望し、それが憎悪に変わり、 「こんな幕府は無用だからつぶしてしまえ!」 という倒幕思想が生まれるに至ったのです。 海音寺潮五郎さんは「井伊直弼にも幕府に対する忠誠心は当然あっただろう」と推測していますが、その井伊の所行が幕府の寿命を縮めることになったのですから、何とも皮肉ですね。
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モモタさん、こんにちは。 |
花姥 2008/01/06 12:04 |
花姥さん、いつもご声援ありがとうございます。 |
モモタ 2008/01/07 09:25 |
モモタさん、こんにちは。 |
花姥 2008/01/07 11:18 |
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