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zoom RSS 海音寺潮五郎『江戸開城』

<<   作成日時 : 2007/08/13 13:30   >>

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海音寺潮五郎さんが西郷隆盛のことを、日本史上最高の英雄として、最も高く評価しているのは、このブログを読んでいるみなさんなら良くご存知のことと思います。その西郷隆盛の生涯の中で、クライマックスの一つが江戸城無血開城を実現したことだと思いますが、これは西郷ひとりの力でなったわけではなく、幕府方に勝海舟という、もうひとりの英雄がいたからこその成果だと思います。

司馬遼太郎さんは「英雄は英雄を知る」という表現を使って、西郷隆盛と坂本竜馬を対比させていますが、海音寺潮五郎さんは坂本竜馬よりも勝海舟のことを高く評価しています。竜馬はあくまでも勝海舟の弟子ともいうべき立場であり、彼の行動は勝海舟の教示、指導があってこそだというのが海音寺潮五郎さんの解釈です。

海音寺潮五郎さんは西郷隆盛の生涯を史伝として書き記すべく、長編史伝『西郷隆盛』の完成に向けて、晩年の著作活動のほとんど全てを費やしました。西郷のことに関しては、この作品中に徹底的に書いているはずですが、江戸城無血開城に関するくだりについては、これとは別の史伝を執筆しています。それが『江戸開城』です。

この作品は昭和49年1月から昭和53年3月にかけて、「歴史と旅」という雑誌に「史伝江戸城明け渡し」というタイトルで連載されたのが始めてということで、書かれている内容は長編史伝『西郷隆盛』の第9巻(絶筆となった巻)と重なっているとのことです。
(残念ながら私は、長編史伝『西郷隆盛』は未読)
この『江戸開城』の特徴は、歴史事実を解釈するために、当事者たちがやり取りした当時の手紙を数多く引用していることで、その内容から関係者の意図や当時の状況を読み取っていくという手法を用いています。

幕末維新の際に、江戸城が戦闘行為を伴わずに明け渡されたことの意義は非常に大きいのですが、それを成し遂げた当事者の一人である勝海舟は、相手が西郷隆盛だったからこそ、この大事をなすことができたと述べており、作品中では以下のように出てきています。、

この談判を、勝は後年、これは相手が西郷であったから出来た。他の人ならこちらの言葉の些少の矛盾や小事に拘泥して、こうは行かなかったろうと言っている。ここで、勝の当時の人物評を紹介する必要があろう。彼は「氷川清話」で、大久保利通の事を、
「大久保は西郷の漠然たるに反して、実に截然としていたよ。江戸開城の時、西郷は、『どうかよろしく頼みます。後の処置は勝さんが何とかなさるだろう』といって、江戸を去ってしまったが、大久保なら、これはかく、あれはかくと、それぞれ談判しておくだろうさ。しかし考えてみると、西郷と大久保の優劣はここにあるのだよ。西郷の天分がきわめて高い理由はここにあるのだよ。」
といっており、木戸孝允のことを、
「木戸松菊は西郷などにくらべると、非常に小さい。しかし綿密な男さ。使い所によっては、ずいぶん使えるやつだった。あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがのう」
といっている。この人物評によると。同じく維新の三傑といわれていても、この二人はこの際の談判相手としては皆落第ということになろう。


勝海舟がどれほど高く西郷隆盛のことを評価していたかが分かる逸話だと思います。

これは海音寺潮五郎さんの著作ではなく、半藤一利氏の『それからの海舟』に書かれていた逸話なのですが、西郷隆盛が賊臣として西南戦争で死んで数年の後(確か、七回忌のころ)の話です。
西郷は反逆者として死んだわけではあるが、世間のほとぼりも冷め始めてきていることでもあるので、生前の西郷と親交の深かった人々が集まり、西郷の墓を建てようということになりました。
その人々は具体的内容について、勝海舟のところに相談に訪れましたが、海舟はひとこと、
「墓か、墓ならすでに俺が建てているよ」
といってその人たちを驚愕させたそうです。海舟は西郷の死後2年目に、近所の寺に西郷の墓を建立し、ひとり西郷の霊を弔っていたというのです。

勝海舟の西郷隆盛に対する深い思い入れがよく分かると共に、西郷を失った後の、勝の寂しさが伝わってくるようです。
江戸開城 (新潮文庫)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
頻繁な記事アップ、ご苦労様です。

塵壺様には釈迦に説教かもしれませんが、勝海舟が西郷を偲んで作った薩摩琵琶の曲「城山」という作品があります。勝の西郷への敬愛が満ち溢れた名作です。
Yute
2007/08/13 22:07
Yuteさん、こんにちは。いつもありがとうございます。

ちょうど今、夏休み中なもので、子供たちが大騒ぎしている中で隙を見てせっせとブログ書いています。

「城山」ご教示いただきありがとうございます。これは半藤一利氏の作品に書かれていたのですが、この時代の人はみんなそうですが、勝海舟も筆まめな人だったらしく、こまめに日記をつけていたそうなのですが、西郷が城山で死んだとの報が届いた日には一行も日記が記されていないのだそうです。
いかに勝が西郷の死に衝撃を受けたかが想像できますね。
モモタ
2007/08/14 13:37

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